3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)が、JRAラストウイークを迎えた。来週末はサウジ遠征のため、今週土日が中央競馬でのラストライドとなる。連載「ジョッキー福永祐一と私」では2週にわたり、ゆかりの深い関係者が思い出を振り返る。

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和田竜二騎手(45)は、ある時期から同期に「すごみ」を感じるようになった。18年、19度目の挑戦でダービー制覇を果たした後だ。

和田竜騎手 ダービージョッキーとして背負うものがあるんでしょうね。あの勝ち方でダービーを取って、全然違うステージに上がったのは見ていて分かる。

ジョッキーとしてのステージが上がると、馬も巡ってくると同騎手は言った。コントレイルとの出会いは必然だったのでは-そういう思いが伝わってきた。

和田竜騎手 コントレイルという馬が来た。自分のステージが上がった時に、そういう馬が来る。騎手冥利(みょうり)に尽きるでしょうね。

競馬学校時代は、時間があれば体育館でサッカーに興じた仲。天才・福永洋一の息子は、当時から抜けていたのか。和田竜騎手は「全然」と言って笑った。

和田竜騎手 同期では増沢(由貴子、旧姓牧原)が断然、馬乗りは上手だった。俺もそうだけど(福永騎手も)ポテンシャルがすごいというわけではなかった。壁はずっとあったはず。彼はそれを全部乗り越えていった。

デビュー戦で初勝利、1年目は53勝。華々しいようでそうではない-コツコツ経験を積み上げ進化した先に、3度のダービー制覇があったのだと感じている。

和田竜騎手 一気に壁を飛び越えるのではなくひとつずつ越える。だから、競馬に対して深みがある。

2人のG1初制覇は、福永騎手が99年桜花賞(プリモディーネ)、和田竜騎手は同年の皐月賞(テイエムオペラオー)だった。

和田竜騎手 あいつが先に勝った。次は俺だって思いましたね。引っ張られる部分はあったと思います。

福永厩舎の馬に乗りたいか-返事は軽妙だった。

和田竜騎手 そんなこと考えてないよ。あいつは。この馬ズブいな。和田に乗せとけ、みたいな感じじゃないですか(笑い)。

ライバルであると同時に信頼できる同期。培ってきた関係性が伝わるひと言だった。【網孝広】