先週のサウジアラビア国際競走で現役最後の騎乗を終えて騎手を引退し、1日に調教師に転身した福永祐一師(46)が4日、阪神11Rチューリップ賞で誘導馬に騎乗して出走馬を先導、最終レース終了後には引退式を開催。節目を迎えた名手について、騎手時代に取材した日刊スポーツの担当記者が「思い出」を記した。

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あれは19年の秋ごろだっただろうか。朝の調教後、栗東トレセンの馬場出入り口付近で、福永と岩田望が立ち話を始めた。すぐに終わると思って近くで待っていると、なかなか終わらない。よく見てみると、話しているのは福永だけ。身ぶり手ぶりを交えた「熱烈指導」に対し、岩田望は直立不動で時折うなずくだけだった。

その終盤、福永がトーンを高めて言った。

「お前のことを、うらやましく思っているジョッキーはたくさんいるんやで」

当時ルーキーだった岩田望は、師匠・藤原英師の配慮もあって、多くの有力馬にも騎乗していた。しかし、期待通りの結果を残せたわけではない。その年の新人賞は5勝差で斉藤新の手に渡っていた。岩田康の息子として注目されながら“プロの壁”にぶつかる岩田望。そんな姿を目の当たりにして、自身も“2世騎手”としてデビューした福永は、見て見ぬふりなどできなかったのかもしれない。長い指導の最後、強烈に奮起をうながしたように見えた。

福永は若手騎手だけではなく、我々記者にもよく指導をしてくれた。騎乗馬の状態以外にも、展開を含めたレースの性質、コースの特徴、各騎手の性格、血統、馬体の見方…。1時間ほど続くのは、通常メニューと言えた。僕も、よく“講義”を受けた。突然チャリティープレゼントを頼んだ際には、企画書の必要性から所属事務所への事前確認など「段取り」までたたき込まれた。

人に教えるのは、簡単ではない。福永より2つ年上の僕も、最近は後輩を指導する機会が増えた。どうすれば伝わるか、分かってくれるか。その難しさを痛感する日々だ。ただ、後輩が育てば、会社の未来も楽しみになる。そう考えると、福永がやってきた一連の行動もJRAの将来を見据えてのものだと思えてくる。

あの日、福永から叱咤(しった)激励を受けた岩田望は2年目に勝利数が倍増(76勝)、昨年は初めて100勝を超えて103勝をマーク。今年も京都金杯で早々と重賞を制し、若手騎手のエースへと成長した。

名手として輝かしい実績を残しつつ、競馬界の未来につながる“種”もまいてきた福永騎手。今度は福永調教師として、どんな厩務員、助手、騎手、記者、そして馬を育てていくのか-。名実ともに「福永先生」と呼ばれる日々が、もうすぐ始まる。

【中央競馬担当=木村有三】