車の通らない、自転車・歩行者専用道としてのサイクリングロードは河川沿いに多く整備され、鉄道の廃線跡などにも見かけられる。関東で言うと前者は多摩川、荒川、利根川など数多くあり、後者はつくば霞ケ浦りんりんロードに代表される。ところが今回走った岡山の吉備路はそのほとんどが田園地帯、つまり田んぼの中の農道を縦横無尽に走って行くという珍しいサイクリングロードだった。


かつて古代吉備国の中心地であったと伝えられる岡山~総社間の25キロをつなぐ。ともに駅周辺の市街地は一般道を走るが、岡山側の津島京町交差点から総社側のきびじアリーナまでの21キロは車と併走する一般道はほんの一部。信号もこの間はたった2つしかなく、ほとんどが自転車道というパラダイスだ。もちろん平野なので平均勾配0%の「ど平坦」。ただし、農道なので舗装状態は期待しないほうがいい。


梅雨明け直後の6月下旬の猛暑日に岡山側をスタート。国道53号の津島京町交差点付近から笹ケ瀬川方面へ入った付近からサイクリングロードが始まる。しばらく川沿いを気持ち良く進むと国道180号にぶつかり、このコース唯一の坂が目の前に出現する。スロープだけの歩道橋で勾配は7%の激坂。これを越え単線のJR吉備線の踏切を渡ると、いよいよ歴史の香り漂う風景が始まる。


笹ケ瀬川沿いの岡山側のサイクリングロード起点。総社まで21キロ
笹ケ瀬川沿いの岡山側のサイクリングロード起点。総社まで21キロ
国道180号にかかる歩道橋。このコースで唯一の坂
国道180号にかかる歩道橋。このコースで唯一の坂

吉備路は18年に日本遺産に認定された「『桃太郎伝説』の生まれたまちおかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」の舞台を巡るライドでもある。古代の吉備に身の丈をはるかに超える温羅(うら)と呼ばれた鬼がおり、これを大和の王の命によって吉備津彦命(きびつひこのみこと)が退治。これが桃太郎伝説の原型となったとされる。


日本遺産ポータルサイトなどによると、晴天の多い温暖な気候に恵まれた吉備の土地では古くから桃が栽培され、今では岡山の特産物。「きびだんご」の原料の黍(きび)は吉備の地名に由来するともいわれ、岡山土産の代表となっている。また、桃太郎の家来の犬、猿、雉は、「犬飼」の名前などで今もこの地に残っているという。もちろん岡山駅前には桃太郎像。県営陸上競技場(現在のシティライトスタジアム)は改装当初は桃太郎スタジアムと呼ばれ、空港も18年に「岡山桃太郎空港」と名前を改めたことなどはこの伝説に由来するのだろう。


吉備津彦命が陣を構えたという「吉備の中山」、その麓にあり退治後に神として祀られた吉備津彦神社、吉備津神社を走り抜ける。吉備津神社の鳥が翼を広げる姿に見える比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)の本殿は国宝で、約400メートルもある回廊なども重要文化財に指定されている。


吉備津神社には温羅が居城していた「鬼ノ城(きのじょう)」へ向けて放った矢を置いたとされる矢置岩や、温羅の首が埋められたと伝わる御釜殿がある。鬼ノ城はここから北西へ約10キロの鬼城山(きのじょうざん)にそびえたという山城。「矢が届くかな」などと疑念を持たず、壮大な古代のロマンを楽しもう。


「日本100名城」のひとつの鬼ノ城が歴史書には一切記されておらず、その歴史は解明されずに謎のままだというのも面白い。城門跡を訪れることができるそうだが、今回はサイクリングロードから大きく外れることもあって訪問できなかった。また吉備津彦命との戦いで傷ついた温羅の血が流れて真っ赤になったと伝えられる血吸川は鬼城山を源流としている。


吉備津彦神社
吉備津彦神社
吉備津彦神社と吉備津神社の間のサイクリングロード
吉備津彦神社と吉備津神社の間のサイクリングロード
吉備津神社参道手前の自転車道案内板
吉備津神社参道手前の自転車道案内板
吉備路にある桃太郎伝説の説明
吉備路にある桃太郎伝説の説明
吉備津神社参道
吉備津神社参道
吉備津神社
吉備津神社
吉備津神社の約400メートルの回廊
吉備津神社の約400メートルの回廊

吉備津神社から先は本格的に田園地帯の中を走る。高い建物も山もないので空がでかいぞ!


中間地点から少し過ぎた足守川沿いの14キロ地点に津寺休憩施設がある。残念ながら自販機もトイレもない。ただ興味深い案内板があった。その名も「鯉喰(こいくい)神社」。鯉に姿を変えた温羅が鵜と化した吉備津彦命に捕らえられた社だという。伝説ゆかりの地がここにもあった。


14キロ地点の津寺休憩施設
14キロ地点の津寺休憩施設
鯉喰神社の案内板
鯉喰神社の案内板

岡山ジャンクションを越えて少し走ると、「造山(つくりやま)古墳」が左手に見えてくる。案内板に従ってコースから外れて左折すると駐車場。そして「金ピカの大王」がそこにいたのには驚かされた。


造山古墳は古墳時代中期(5世紀前半ごろ)に築造された全長約350メートルの前方後円墳で、現在全国4位の規模。築造当時は全国最大だったという。自由に立ち入ることができ、墳丘を歩いて見学できる古墳としては国内最大だ。それはいいとして、09年4月に建立された「吉備の大王」と名が付くこのお人は一体誰だろう。手塚治虫さんの「火の鳥」にでも出てきそうなキャラにも見える。


「この地に大きな勢力を持つ有力者がいたことで、対立する大和朝廷が派遣した吉備津彦命が、鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治する伝説が生まれたと考えられています」と造山古墳の説明文にある。むむ、古墳は桃太郎伝説とつながっているのか。像自体には「古代吉備の象徴として造山古墳を大切に思う地域の人々がここに建立する」としか書かれておらず、謎は深まるばかりだ。近くのビジターセンターは閉まっているようで解決できなかった。


実は吉備津神社では「鬼」の温羅も大切に祀られている。悪行を極めた暴君ではなく国に繁栄をもたらした大王として敬われる存在であったのではとする説もあるようだ。「温羅伝説」を元にし、鬼のメークを施して踊る「うらじゃ」も94年から始まり、現在では「おかやま桃太郎まつり」の一環として行われている。


綺麗なトイレと自販機があったので、日陰で小休止しながら古代に思いをはせた。


左へ曲がると造山古墳駐車場
左へ曲がると造山古墳駐車場
吉備の大王
吉備の大王
吉備の大王
吉備の大王
サイクリングロードから望む造山古墳。案内板には自転車のオブジェ
サイクリングロードから望む造山古墳。案内板には自転車のオブジェ

造山古墳の先の自転車道を気持ちよく進むと、やがて右手に吉備路シンボルの備中国分寺の五重塔が目に飛び込んでくる。田園風景の中にそびえ立つ、32・32メートルの国指定重要文化財だ。総社市HPによると、備中国分寺は享保2年(1717)年から19年の歳月を費やして建立。五重塔は国分寺の再興からおよそ100年後の文政4(1821)年ごろより建立が図られ、工事が完了したのは、天保14(1843)年か弘化元(1844)年。岡山県内唯一の五重塔でもあるそうだ。周辺には散策路があり、この日は楽しめなかったが、春にはれんげや菜の花、夏にはひまわり、秋にはコスモスや紅葉も楽しめるスポットだという。


備中国分寺の五重塔
備中国分寺の五重塔
吉備路のシンボル、備中国分寺の五重塔
吉備路のシンボル、備中国分寺の五重塔


吉備路サイクリングロードは田園地帯を走るだけあって、周辺に補給個所はほとんどない。唯一あるのがこの周辺で、サイクリングロードから見える範囲に飲食店やコンビニがあるオアシスでもあった。


備中国分寺を過ぎると右手に作山古墳。全国第10位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円墳だが、造山古墳同様、こちらも「つくりやま」と読むのでややこしい。また、総社市HPによると「吉備の大首長の権力を誇示したものと思われるが、不整な形態をしており、畿内の大王ほど古墳築造にかける余力がなかったのでは」と考えられているそうだ。


さて、歴史ロマンを感じるライドもゴールが近づいてきた。自転車道はきびじアリーナ前で終了。吉備路としてはこの先は市街地を総社駅まで進むのだが、今回はここで折り返すことにした。実は筆者は岡山市出身で、津島京町交差点は実家の近所、吉備津神社は母親の実家の近く。小さいころから何度も通った道だが、こうしてサイクリングロードとして走ってみると新鮮な感じがした。それにしても総社まで農道をよくつないだものだ。ただ、桃太郎と吉備津彦命は自分の中ではつながっていなかった。地元なのにダメだねぇ。


きびじアリーナ手前。自転車道はこのあたりで終了
きびじアリーナ手前。自転車道はこのあたりで終了
きびじアリーナ
きびじアリーナ
岡山市街から約24キロ
岡山市街から約24キロ

岡山市街まで戻り、最後は岡山総合公園にあるJ2ファジアーノ岡山の本拠・シティライトスタジアム前の人見絹枝さん、有森裕子さんの銅像にご挨拶して今回のライドを終了した。高校の大先輩にあたる人見絹枝さんは28年アムステルダム五輪800メートルで銀メダルを獲得し、日本女子初の五輪メダリストとなった。五輪女子マラソンでバルセロナ銀、アトランタ銅の有森裕子さんは面識はないが中学の後輩となるようだ。【石井政己】


シティライトスタジアム前の人見絹枝像
シティライトスタジアム前の人見絹枝像
シティライトスタジアム前の人見絹枝像
シティライトスタジアム前の人見絹枝像
シティライトスタジアム前の有森裕子像
シティライトスタジアム前の有森裕子像