6月6日に大阪環状線の支線である桜島線について書いたが、今回は東海道本線の美濃赤坂支線(岐阜県)。誕生の経緯を調べたり終点を見るのが大好きな私。今回を「支線シリーズ」の第2話だと名付けてしまおう。支線であるがゆえ、単線やワンマン運転など日本の大動脈である東海道本線の一員でありながら、複数の「例外」を持つ。終点の美濃赤坂駅は優しく私を迎えてくれた。(訪問は2016年9月)
東海道本線ではあるが本数は少ない。昼間は3時間近く電車がないことも。支線の始発である大垣駅(写真〈1〉)で私を待ち受けていたのはこんな現実だった。だが私にはあまり困らないだろうという自信があった。それは地名である。
日本中にある「赤坂」の由来は子細には知らないが、私が過去に訪れた赤坂はそれなりの町だった。ならばバスはあるのではないか。駅前の乗り場で調べると、やはりあった(写真〈2〉)。最近、鉄道旅といいながら結構バスのお世話になっている。ローカル路線バスは終点の地名を聞いても全く知らないことが多く、ハードル高く感じてしまうが、駅前のターミナルのようなところだと情報も入れやすい。
また今回のような支線の旅は鉄道利用だと基本的には、そのまま折り返すしかなく変化に乏しい。さらに支線は到着してすぐに戻っていくことが多いので駅や周辺を堪能することもできないのだが、バスがあれば一気に解消する。おそらくこのあたりが宿場町の中心だろうと思われる停留所でバスを降りる。交差点に「赤坂宿」の石碑があった(写真〈3〉〈4〉)。
中山道の重要な宿場町だったという。近くの金生山で採掘される石灰石で潤った町でもあり、それが美濃赤坂支線の成り立ちに大いにかかわった。つまり石灰石の運搬のためにできた路線なのだ。西濃鉄道による運搬は今も現役で、話の順序は逆になるが、今も美濃赤坂を越えて西濃鉄道のレールが伸びている。
赤坂宿は、お寺も多く昔からのたたずまいを残す町だった。てくてく数分歩くと待望の駅舎が見えてきた(写真〈5〉~〈7〉)。大正時代に建てられた味のある木造駅舎だ。
旅客用のホームは1面しかないが、石灰石の運搬があるため構内は広い(写真〈8〉〈9〉)。駅舎には前出の西濃鉄道の事務所が入っており、切符販売などの旅客対応はしないが駅内業務を担当。JRとしては無人駅だが、家と同じで住んでいる人がいるのといないのでは守られ方が違う。駅はきれいに保たれている。
駅と周囲を歩いた後は、まだ残暑厳しい季節だったので自販機で缶コーヒーを買って休憩。やがて電車がやって来た(写真〈10〉〈11〉)。もう夕方に近く帰宅の高校生や買い物帰りの主婦が降りる。単線、2両編成、ワンマン運転。
東京から神戸までの東海道本線では、まずお目にかかれないものだ。ここのところ東海道本線でも無人駅は増えつつあるが、切符の販売もないのは、ここ美濃赤坂と支線内の荒尾ぐらいではないだろうか。乗ってみると、わずか5キロ、10分もかからない旅で大垣の切り欠き専用ホームに到着した(写真〈12〉)。
前回紹介した阿佐海岸鉄道もほぼ同様の鉄道旅で、あっけないといえばあっけないが、時間が短い分、いろいろなものを目に焼き付けようと集中力が妙に増す。こんな乗り鉄も楽しい。【高木茂久】