高校3年生は夏に差がつく。学習塾がうたう文句は野球界も同じだ。選手権大会も終盤となり、涙を流した選手は次のステップに向かうこととなる。野球をやりきったと辞める選手、大学や社会人に進む選手、そしてドラフト指名を待つ選手。さまざまな進路への準備をする。野球を続けるならば、引退後のこの時期は大きなアドバンテージを作るのに有効な時期だ。

 一念発起し“偏差値”を大幅に向上。大学を経て、わずか12人しか入れない「ドラフト1位」の門をこじ開けた選手が証言する。沢村拓一投手(30)だ。「夏の引退後はすごい重要。周りは遊びたくなるけれども、そこでいかに練習できるか。自分は練習したという自負があるから、プロに入れた」。佐野日大時代は投手の中で3番手、体重も70キロしかなかった。ほぼ無名の選手から、どうやって一流の階段を上ったのか。

 沢村流のドリルは「基礎のトレーニング」から始めることだった。引退後に本格的にウエートトレーニングを開始。まずは大きな筋肉を鍛えるために、4種目を行った。デッドリフト、スクワット、クリーンプレス、レッグプレス。主に下半身を強化した。この4種目ならば最新の機器も要らないし、近くにあるジムなどで行うことができる。夏の“見せ筋”として上半身の大胸筋を鍛えたくなるが、「胸をやるならダンベルプレスは避けた方がいい。やるなら重すぎない重さのベンチプレスの方がいい。胸付近の過度なトレーニングは考えながらやった方がいいと思ってやっていました」と投球に結びつく部位の強化を考え、日々の練習に励んだ。

 実戦的なメニューは後輩の練習に参加して、補った。県大会で敗退後、休みは2、3日のみ。毎日グラウンドへと向かい、後輩の打撃練習で毎日打撃投手を務めた。「練習はウソをつかないというけれども、漠然と練習していると簡単にウソをつく。自分で必要なことを考えて、誘惑を振り切って立ち向かうことが大事」とひたすらに野球に向き合った。

 体重は70キロから大幅増量。中大に入学後も「当時はボロボロだった」と振り返る設備でトレーニングを続け、球速は20キロ近くアップした。自らを磨き上げてドラフト1位の指名をつかんだ。

 高校野球が終わり、次のステップに向かうにはこれからが勝負。「中学から高校に上がった時に受ける衝撃と、大学に上がった時の衝撃の差は倍くらいある。大学では周りにすごいやつしかいないから、そのレベルに向けた準備をしてほしい」とエールを送る。

 まずはトレーニング4種目。この時期からの練習が人生を変えるかもしれない。引退後の涙を拭いて、違いがハッキリ分かる夏にしたい。【巨人担当 島根純】