「代打清原」で103年ぶりの扉を開けた。慶応(神奈川)が沖縄尚学に逆転勝ちし、準優勝した1920年(大9)以来3度目の4強進出を決めた。今大会屈指の好投手、東恩納蒼投手(3年)を6回に攻略。清原勝児内野手(2年)の代打出場を号令に、四球を挟む6連打など打者一巡の猛攻。甲子園全体を味方に付け、4番加藤右悟外野手(2年)が走者一掃の逆転二塁打を放ち、大量6点のビッグイニングをつくった。21日の準決勝は、第2試合で土浦日大(茨城)との関東対決となった。
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甲子園の空気が一瞬にして変わった。0-2の6回表。10分のクーリングタイム後、慶応は「切り札」を代打に送った。「9番、鈴木くんに代わりまして、バッターは清原くん」。アナウンスに促されるように背番号15が打席に入ると、球場全体に大歓声と大きな拍手が湧き起こった。5球連続で見逃し、フルカウントから投ゴロ。だが、チームの士気を高めるのには、十分な存在感だった。
球場の興奮が冷めやらぬ中、続く1番丸田が「球場が沸いて、球場全体が彼のものになる。こっちのもんだという雰囲気になった」と、初球攻撃で右翼線を破る二塁打。WBC準決勝でエンゼルス大谷が安打を放った際に見せたような、両手で三塁側ベンチをあおった。八木、渡辺千も出塁し1死満塁。応援席のアルプスから「ダッシュKEIO」が流れ、ここまで2打席連続三振の2年生4番、加藤の若き血も燃えた。
「気持ちを切り替えて、初球から思いきり振っていこうと思った」。狙い通り初球の142キロ直球をフルスイング。左中間を深々と破る走者一掃の二塁打を放ち、逆転に成功した。
クーリングタイムも有効活用した。前半5分は体と頭を冷やす時間。後半5分で情報共有とミーティングを行い、体をほぐす。大阪入り後の練習から導入し、慣れてきた。加藤はベンチ裏で延末から「真っすぐと変化球、どっちも追い過ぎているから、自分の中で絞ったら」とアドバイスを受けた。頭も冷静になり、決勝打につなげた。
甲子園の最強スラッガーを父に持つ「代打清原」が火を付け、3万観衆も味方に付けた。準決勝は土浦日大との関東対決。森林貴彦監督(50)が「歴史の1ページを刻むような戦いができている」と言えば、加藤も「どこが来ても強いけど、準決勝は通過点。一戦必勝でやっていければ」と頼もしい。古豪が新風を吹かせながら、107年ぶりの大優勝旗をつかみ取る。【星夏穂】
▽慶応・大村主将(103年ぶりの4強に)「そんなに(勝ててなかったのか)って感じですけど、自分たちが新しい歴史を作ってるっていうのがすごく楽しくて、ワクワクしている。日本一まで、ここからの道が長いが、頑張りたい」
◆103年ぶり4強 慶応が慶応普通部時代に準優勝した1920年以来の4強。2016年北海の88年ぶりを更新する最長ブランク。
◆慶応の第6回大会(1920年) 大会には15校が参加。鳴尾球場で行われた。東京代表で出場した慶応(当時慶応普通部)は初戦の準々決勝で長岡中(新潟)に4-2で勝つと、松山商(愛媛)との準決勝は延長16回、4-3でサヨナラ勝ち。この4時間45分の死闘で疲れが残ったのか、翌日の関西学院中(兵庫)との決勝では今でも大会記録として残る1試合13失策と乱れ、0-17で完敗。4年ぶりの優勝を逃した。
◆1920年(大9)の出来事 1月に国際連盟が成立し、4月にアントワープ(ベルギー)五輪開催。国内では2月に第1回箱根駅伝が開催され、3月には株価暴落から戦後恐慌が起こった。10月に初の国勢調査を実施。総理大臣は原敬。大リーグではヤンキース移籍1年目のベーブ・ルースが、自身のメジャー記録を25発も上回る54本塁打で3年連続タイトル獲得。
◆慶応のビッグイニング 慶応が夏の大会で1イニング5点以上を挙げたのは、優勝した1916年決勝の市岡中戦で3回に5点を奪って以来107年ぶり。
◆神奈川対茨城 慶応は準決勝で土浦日大と対戦。過去の神奈川県勢対茨城県勢は夏に5度の対戦があり、神奈川の4勝1敗。74年には1年生で5番打者の原辰徳(現巨人監督)らを擁する東海大相模が、エース工藤一彦(元阪神)の土浦日大に延長16回、3-2でサヨナラ勝ちする名勝負を演じた。

