横浜(神奈川)のエース織田翔希投手(3年)が「大怪物」への階段を上った。日南学園(宮崎)戦で甲子園史上最速の156キロをマークした。6回無死二、三塁で登板すると申告敬遠で満塁とした後、谷口への3球目、空振りを奪ったど真ん中への球で記録した。2年生左腕、小林鉄三郎投手が、甲子園での先発デビューを飾った試合。後輩を救う無死満塁の大ピンチでの快投にどよめきが起こった。
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甲子園のどよめきが止まらない。1ー1で迎えた6回、無死二、三塁。織田は「自分でもビックリしたんですが、恐れとか全くなく。自分なら抑えられるという気持ちがありました」。自信を持って上がったマウンドだった。
申告敬遠で満塁とした後、日南学園の4番、谷口との勝負を選んだ。「1球で球場の雰囲気を変える。三振を取った方が流れも良くなると思った」。初球の真っすぐは153キロ。146キロと続き、3球目に投じた真っすぐは甲子園のスコアボードに甲子園最速を更新する156キロが表示された。さらに155キロの真っすぐで見逃し三振と狙い通り。次打者には149キロ真っすぐで二塁への併殺打に打ち取り、右手で大きくガッツポーズ。わずか5球で日南学園の勢いを止めた。
チームが勝てばそれでいい。エースの責任が織田を奮い立たせた。最速156キロにも「うれしいですね。でもそんなに力を入れたってわけでもなく、本当にリズムよく投げられたので、その結果だと思います」とサラリと振り返る。そして「すごく楽しかった」と付け加えた。
昨年は、いつもピンチにエースの奧村頼人(現ロッテ)が助けてくれた。「今度は自分の番。後輩の鉄三郎を助ける」。強い精神力で、チームを勝利に導く投球。村田浩明監督(40)も「闘争心を1球に込めてくれた。僕が描いていた以上の成長。負けないピッチャーに成長した。頼もしさを超えた」と、目を細めた。
1球1球、魂がこもっていた。二塁手の田島は「織田さんが出てきて、ヨシッて感じです。完全に空気が変わった。もう大丈夫だなという空気が野手に流れました」。捕手の脇山はこの最速156キロを受けた瞬間を「ドカン! バキュンッ!という感じ」と表現。春からバッテリーを組み約5カ月。「織田さんの速球は速くて重くて。ミットのヒモがすぐに切れる。もう3~4回、交換しました」。受けた瞬間、少し体が後ろに動く程、力のある真っすぐを受け続けた。
大怪物への道はまだ続く。「アドレナリンが出た時の織田は本当に怪物に見えました。でもまだ続きますよ」と村田監督。すでに小野舜友内野手(3年)らとともに、高校日本代表の最有力候補に挙げられている。これからも、どのマウンドに立っても、チームの勝利のために腕を振る。【保坂淑子】
◆球速メモ 横浜・織田が156キロを計測した。甲子園の球場表示では07年夏の佐藤由規(仙台育英)、13年夏の安楽智大(済美)、25年春夏の石垣元気(健大高崎)がマークした155キロを上回る高校生の最速。
◆スカウト計測では 過去は01年夏の寺原隼人(日南学園)が出した158キロが最速。これは大リーグのブレーブスが計測した98マイルを換算した約157・7キロだが、当時テレビ中継だけに表示した甲子園球場のスピードガン(92年設置)では154キロだった。スカウトの数字は場所や機器の違いなどで球場表示の上や下にぶれることがある。
◆織田が8勝目 織田が甲子園通算8勝目。横浜の投手では最多となる松坂大輔の11勝にあと3勝。愛甲猛の7勝を抜いて単独2位となった。
◆無死満塁で無得点 最近の甲子園で無死満塁のピンチを脱した主なケースでは、05年夏の田中将大(駒大苫小牧)が日本航空戦の6回、三振、中飛、三振で切り抜けた。13年夏の小島和哉(浦和学院)は仙台育英戦、16年春の早川隆久(木更津総合)は札幌第一戦で、ともに3者連続奪三振。

