力士のまげを結う床山の床盛(とこもり、45=本名・難波健治)が、4日付で日本相撲協会を退職した。もともと妻の実家が兵庫・淡路島でタマネギ農園を営んでおり、まずは手伝うかたちで農業を始めたという。

15歳で角界入りし、勤続30年7カ月。来年早々には、2等床山から1等床山への昇進も確実だった。なぜ、この年での転職なのか? 元床盛の難波さんに聞いた。

「相撲も魅力があり、大好きなのですが、相撲協会にいたらできないことが淡路島にはあります。畑仕事もそうですし、目の前の漁港で魚を釣ることもできます。後悔はなく、今は楽しみしかありません。タマネギだけでなく、ブドウ作りも頑張りたい。義理の兄がワインを造っているんです」

難波さんは力士志望だったが身長が規定に足りず、床山として元関脇青ノ里の立田川部屋に入門。「2、3年床山をやって、身長が伸びたら力士になったらどうか」と言われ、のちに身長は170センチになったが転向はしないまま。その代わり、床山のまま約10年は、東京場所前や夏合宿に限って、まわしを締めて力士とともに稽古していたという変わり種だ。

「入門してから、師匠には手取り足取り、ちゃんこの作り方も教えてもらいました。一緒の部屋に寝て、朝から晩まで。師匠のおかげで、企業の社長と話す機会があったり、勉強になりました」

師匠の定年に伴い、2000年に湊部屋に移籍。2014年10月には報道陣約60人の前で、逸ノ城の初まげを結ったことが見せ場の1つだった。立田川部屋時代も含め、本場所では敷島(現在の浦風親方)、豊桜、霧の若、琉鵬、逸ノ城の大銀杏(おおいちょう)を担当してきた。

くしやまげ棒など、床山の道具は一式、記念に持ってきた。秋場所はテレビで観戦しているが、不思議な感覚だという。「変な感じがしますね。あの場にいたわけですから。近所にあいさつ回りをすると、不思議がられますよ」。

7月場所は、部屋から本場所まで車で逸ノ城の送迎も担当していた。逸ノ城に向けては「ケガを治すことも、トレーニングも、努力している関取です。三役に戻ってくれたらうれしいですね」とエールを送る。

最後に、タマネギのPRを。「淡路島のタマネギは甘いんです。サラダで食べるとみずみずしい。(力士たちにも)食べてもらいたいですね」。多くの力士のまげを結ってきた職人の手はこれから、畑仕事に生かしていく。【佐々木一郎】