90年前後に漫才コンビ「ベイブルース」で活躍した現「ケツカッチン」の高山トモヒロ(49)が20日、大阪市内で、自伝的小説「通天閣さん 僕とママの、47年」発売を発表し、同時に、娘でタレントの光永(ひなた=26)が主演して舞台化することも明らかになった。

 関西では「ポスト・ダウンタウン」と将来を嘱望されながら、大阪・桜宮高野球部同級生だった相方の故河本栄得さん(享年25)を亡くし、ピン芸人としての活動を経て、新たに和泉修と「ケツカッチン」を結成。活動を続ける高山は、河本さんとのコンビをつづった小説「ベイブルース 25歳と364日」を09年に発売。前作は映画化までされ、今回は、以来の執筆となった。

 今作は、小学3年で両親が離婚し、別れた母との思い出を中心につづった。

 高山によると、若年性の認知症を患っていた母は15年2月に、75歳で死去。「そこから2カ月で書き上げた」と言い、「気持ちがすごくたかぶっていたときに書きたかった」と振り返った。

 高山は両親の離婚で、母が家を出て行く当時を「風呂に行ってくるって言うて出たけど、ボストンバッグを持ってたんで、風呂やないと分かっていた」。少年時代は母を恨んでいたが、現阪神2軍監督の矢野燿大氏らと、野球部で甲子園を目指していた高校時代、JR京橋駅付近で、偶然再会。「エナメルバッグに名前書いてたので、母から『トモくん?』って、声をかけてくれて、8年ぶりに会ったんです」と話した。

 以来、芸人を志した際も応援をしてくれたといい、河本さんとコンビを組む際には2人で母へ会いに行き「(母は)ひざに頭がつくぐらい頭を下げて、河本に『よろしくお願いします』って…」。心斎橋筋2丁目劇場で若者を中心に人気が爆発すると、若者にまじって「派手な破天荒な格好をした」母が客席にいた。

 「みんな河本君がおもしろいって言うけど、私はトモ君の方がおもしろい」と話していたそうで、高山の一番のファンだった。

 河本さんを亡くし、ソロ活動を始めると、舞台での仕事がなくなったが「姫路とかMC、進行の仕事とか行っても、いっつも来てた」そうで、とくに会いにきたり、励ましたりすることはなかったが、母の応援は分かっていたという。

 そんな母との切ない思い出をつづった著書は、製本前にNSC(吉本総合芸能学院)同期の宮迫博之(47)に「原稿用紙300枚ほどの状態」で、見せたといい、この日発売された小説の帯には宮迫が「泣いた、泣いてしまった、不覚ッ!!」と文章を寄稿した。

 高山は、照れながら帯を読み上げ「泣いてしまった、不倫!?」「彼が書いてくれて一線…あっ、1000部超えるんちゃいますか」と、盟友の不倫ネタをイジッてニヤリと笑った。

 また、舞台化については「マネジャーより前に『パパの舞台するねん』と、光永から聞いた」と笑いながら報告。その光永は、高山の妻、自身にとっては母親役を演じ、主人公の1人に臨む。光永は「お父さんとお母さんの出会いとか、照れくさいですけど、こんな貴重な機会をいただける人はそういないので、うれしい」と話した。

 高山の前作「ベイブルース 25歳と364日」は14年に映画化されており、その際は、妻役を安田美沙子が演じた。それだけに、高山は「嫁が引っかかってるのは、自分の役を光永がやること」と言い、光永も「はい。(母は)『私、こんな丸くない』って言ってます」と笑わせた。

 舞台は12月8~10日、東京・神保町花月での上演が決まっており、高山によると、その後は、地元の大阪上演も考えているという。また、前作に続いての映画化には「本からスタートして、ヒットして、そういう話になればうれしい」と話していた。