青函トンネルを抜け、北海道へ入ると木古内そして新函館北斗へと向かう北海道新幹線。新函館北斗駅は前身の渡島大野駅時代の2013~15年にわたって3年続けて、いずれも夏の終わりに訪問している。開業が16年春なので最後に訪れたのは開業半年前。ちょっとノスタルジーに浸りながらの旅でもあった。
奥津軽いまべつを出ること30分とちょっと。新幹線は木古内のホームに滑り込んだ。北海道新幹線の新3駅のうち、駅名が同じなのはここだけ。ちなみに奥津軽いまべつ駅は津軽今別駅の名義変更ではなく、公式には廃駅後に新駅ができたことになっている。
廃線が発表された江差線に乗車した13年8月に訪れたが、現在は第3セクター「道南いさりび鉄道」として残った五稜郭~木古内の終点駅でもある。当時はまずバスで松前に向かった(JR松前線の代替バス)が駅舎を出ると目の前にバスが停車していて飛び乗った。当時の写真を見て「そうそう」と思い出した(写真〈1〉〈2〉)。今はバスターミナルと道の駅ができている。
道南いさりび鉄道の木古内駅改札はJR時代と同じだが無人化されていた。待合室には当時の駅名標が保存されている(写真〈3〉〈4〉)。また道南いさりび鉄道としては終点だが、貨物列車は青函トンネルを抜けた後、新幹線から別れて、こちらに合流する。線路はそのまま使用されているが、貨物列車が通る部分のホームは撤去されていた。
道南いさりび鉄道のキハ40に1時間揺られて五稜郭そして函館に到着。一夜明けて、いよいよ新函館北斗である。13年から3年続けて、まだ渡島大野だった現地に足を運んだだけに楽しみだった。駅舎がプレハブ化され工事が始まったばかりの13年(写真〈5〉~〈7〉)、何となく形が見えてきた14年(写真〈8〉~〈11〉)、そしてほぼ完成していて、普通しか止まらない駅に立派なエスカレーターができていた15年(写真〈12〉~〈15〉)と、いずれも思い出深い。詳しくは写真を参照していただきたいが、3年も通っただけに完成した姿には感慨深いものがあった(写真〈16〉~〈19〉)。ランプ小屋(※)が約束通りに保存されていたのもうれしかった。
新函館北斗から新幹線に乗り込み新青森へと向かって北海道に別れを告げたが、問題はここからである。前日の8月29日は仙台から新幹線で奥津軽いまべつまで来たのだが、仙台駅で空席状況を見るとすべて満席。それが盛岡そして新青森を過ぎると車内は一気に空席だらけとなってしまった。30日の新函館北斗~新青森の乗車もガラガラだった。30日は金曜日。平日ではあるが夏休み最後の週末にさしかかる時期にちょっと寂しい。
開業から3年目の昨年度、北海道新幹線の平均乗車率は24%だったという。これはなかなか厳しい数字だ。もちろん最後は数字やデータになるのだが、私は鉄道については実際に乗車した実感をもって語ろうと思っている。だが今回、残念ながら数字通りの感想だった。
開業時に30年の札幌延伸まで苦戦は覚悟とされたが、昨年度の赤字は100億円と予想を大きく下回っている。個人の感想を言うと、東京までの料金はこんなものか、という感じだったが、北海道新幹線内においては高いなぁ、と思った。札幌延伸まで、あと10年もある。何かアイデアを出さなければならない時期が迫っているのではないだろうか。【高木茂久】
※鉄道黎明(れいめい)期の車内照明に電気のランプはなく、灯油ランプだった。夕闇が迫るころ駅に到着すると屋根に登った職員が灯油ランプを順番につり下げていた。灯油やランプを保管していたのがランプ小屋。電気の発達とともに灯油ランプの役割は終わったが、灯油を保管する頑丈な構造だったため、その後も倉庫として使われることがあり、今も各地にその姿を残しているところがある。