思いつきというか、まったくの「泥縄式」で始めた関西本線非電化区間の駅巡り。キハ120は三重県に入った。大都市近郊区間で食事やコンビニにも困らないだろうという出発時の想定は全く無に帰したが、歴史の古いこの区間には、風景に溶け込む年季の入った駅舎が並ぶ。結果的には平日の訪問ということも大きかった。(訪問は昨年11月15日)

キハ120は民営移管後、JR西日本が導入したローカル線向け車両で原則的にワンマン、単行(1両編成)に対応。つまりは、このコラムの常連さんである(笑い)。ただ西日本一帯を走るキハ120の中でも関西本線はちょっと変わっている。昨年3月から亀山~加茂の非電化区間もICOCA対応区間になったことで車両内にもICリーダーが設置された。今回はフリーきっぷ使用で利用機会はないが、初めて見た私は新鮮だった。(写真1)

〈1〉関西本線のキハ120にはICリーダーが取り付けられている
〈1〉関西本線のキハ120にはICリーダーが取り付けられている

列車は伊賀上野に到着した。この区間内で唯一の直営駅でみどりの窓口がある。伊賀鉄道(旧近鉄伊賀線)と改札を同じくしており、かつては急行停車駅でもあった(※1)。この駅で数分停車。2面4線(うち1線は伊賀鉄道の切り欠きホーム)で列車交換は可能だが、昼間は当駅でのすれ違いはないようだ。(写真2~5)

〈2〉非電化区間で唯一、みどりの窓口がある伊賀上野駅
〈2〉非電化区間で唯一、みどりの窓口がある伊賀上野駅
〈3〉乗り換え案内も忍者が務める
〈3〉乗り換え案内も忍者が務める
〈4〉駅の構内。みどりの窓口も自動券売機も設置
〈4〉駅の構内。みどりの窓口も自動券売機も設置
〈5〉伊賀上野の駅名標
〈5〉伊賀上野の駅名標

この後回った佐那具、島ケ原が今回のハイライト。佐那具は大きな木造駅舎が現存する。関西本線のこの区間は関西鉄道として明治期に敷設された古い路線である。名古屋~奈良~大阪という都市圏を結ぶ重要幹線だった。地図を見れば分かるが、当時は最短距離で結ぶ路線だった。

だが、その後東海道本線の電化と新幹線の登場、近鉄が利便性を増したことによって徐々に存在感が薄れていく。国鉄時代から大阪(天王寺)~奈良間や名古屋~亀山間など近鉄と競合する部分が多い区間は電化などで近鉄との旅客争奪戦を行ったが、競合することなく沿線人口も少ない亀山~加茂間は地域輸送にも妙味がないと考えられたのか、非電化単線のまま残された。JRに移管されると亀山を境に東海、西日本と2つの会社に分けられたことも不運だったのかもしれない。最後の優等列車となった急行「かすが」も末期は名古屋~奈良間に短縮され、16年前に廃止された(※2)。

ただ時間が止まったことが、駅舎の保存にもつながったのかもしれない。佐那具駅の開設はまだ19世紀の1897年で財産票によると大正期の建築らしい。簡易委託の駅舎内は、きっぷ販売窓口に遅延の際の手書き案内板が残され、かつての写真も展示されている。駅名板の文字はいつからのものだろう。なお佐那具は江戸時代に本陣が置かれた場所で古い街並みが現存する。(写真6~10)

〈6〉大正期の駅舎が残る佐那具
〈6〉大正期の駅舎が残る佐那具
〈7〉「出札口」が現役である
〈7〉「出札口」が現役である
〈8〉新旧文字の奥が改札。桜の季節はさらに美しくなる
〈8〉新旧文字の奥が改札。桜の季節はさらに美しくなる
〈9〉遅延の際の手書き案内板が残る
〈9〉遅延の際の手書き案内板が残る
〈10〉大正3年の財産票
〈10〉大正3年の財産票

奈良方面に戻って伊賀上野を過ぎて島ケ原で下車。こちらも大正期の財産票が残る木造駅舎だ。かつては中間にもう1本レールが敷かれていたのだろうか。留置線も残されていた。昼間はこちらで列車交換を行う。つまり上下とも同時発車。1時間に1本の運行なので外に出て写真を撮ったりしていると必然的に1時間の待ち時間が生じることになる。とはいえ1日に6往復という山陰本線閑散区間の全駅訪問を行ったのは10日前。1時間に1本なんて夢のようなレベルだ。

到着したのは、ちょうど正午すぎ。待ち時間も含め昼食にはちょうどいい時間だが、問題はお店である。駅前にレストランがあることは調べて分かっていたが月曜はお休みでガッカリ。今日は大都市近郊区間を回る予定で食事には困らないと確信を持って出発したのに、非電化単線区間に入るとこういうことになる。さぁ困ったと駅から少し歩くと小さなスーパーマーケットを発見。少なくとも何か食べられるとひと安心。店頭でたこ焼きを販売していたので購入。ホッとしすぎてビールを買うのを忘れたが、11月の穏やかな日だった。駅前のベンチでパクついた。(写真11~15)

〈11〉島ケ原駅も大正期からの木造駅舎が残る
〈11〉島ケ原駅も大正期からの木造駅舎が残る
〈12〉財産票は大正だが、駅の解説を読むと明治30年からのものかもしれない
〈12〉財産票は大正だが、駅の解説を読むと明治30年からのものかもしれない
〈13〉駅舎の文字は小さな「ヶ」だが、構内の駅名標とJR西日本のホームページでは大きな「ケ」が使われている
〈13〉駅舎の文字は小さな「ヶ」だが、構内の駅名標とJR西日本のホームページでは大きな「ケ」が使われている
〈14〉お昼はたこ焼きとなった
〈14〉お昼はたこ焼きとなった
〈15〉跨線橋から構内を眺める
〈15〉跨線橋から構内を眺める

続いて訪れたのは新堂。南北どちらからも跨線橋で入れる島式ホーム上にコンクリートの駅舎があり、きっぷ販売の窓口があるユニークな構造だ。昨年3月に訪れた東金線(千葉県)の求名(ぐみょう)駅に似ている。もっとも以前からこのような構造だったわけではなく、瓦屋根の立派な木造駅舎が街のある北側に設置されていた。そのうち南側の国道側も重要になり現行の形になったが、旧駅舎だけは待合室として残されていたものの、2年前に解体された。南側には大きなスーパーがある。(写真16~18)

〈16〉跨線橋を降りるとホームに駅舎がある
〈16〉跨線橋を降りるとホームに駅舎がある
〈17〉入線したキハ120
〈17〉入線したキハ120
〈18〉もともとは2面3線だったが旧駅舎があった1線は使われなくなった
〈18〉もともとは2面3線だったが旧駅舎があった1線は使われなくなった

次の駅は柘植だが、京都府にグーンと戻る。大河原駅へ、この日最長の30分もキハ120を堪能した。駅を降りると目の前が木津川。戦後に水害が起きて再建されたためコンクリート駅舎。それでも建物として70年近い歴史を有する。南山城村役場が近く村の代表駅となっている。元々の予定では、こちらで30分ほど待機して柘植まで行くことにしていたが、柘植は何度も訪れたことがあるため1時間待って加茂行きに乗り帰路につくことにする。正直言うと自宅を出たのが朝の6時過ぎで、14時半の時点でエネルギー切れである。加茂が9時半だったので5時間の駅巡りだった。(写真19~21)

〈19〉大河原はコンクリート駅舎となっている
〈19〉大河原はコンクリート駅舎となっている
〈20〉留置線が残る
〈20〉留置線が残る
〈21〉駅前は美しい川が流れる
〈21〉駅前は美しい川が流れる

今回目にしたのは、すべての駅で駅員さんがいる光景だった。伊賀上野を除くと簡易委託であり、改札業務はしないようだが、きっぷ売り場の窓口が開いていて人が座っている姿は「あー、駅だな」と実感させられる。窓口が開いているのは平日の限られた時間が多いと思われるが、その意味でも月曜日に来て良かった。本当は柘植以降の亀山までの間に「加太越え」という関西本線のハイライトがあるのだが、いかんせん手持ちのきっぷは柘植までである。それはまた次の機会にしよう。【高木茂久】

※1 旧上野市時代も含め、伊賀市の中心駅は伊賀鉄道の上野市駅。

※2 これにより奈良県はJRが走っている都道府県で唯一、JRの定期優等列車の運行がなくなった。