面倒見のいい村のばあちゃんがいよいよとなって、ぼくが自宅に駆けつけると、ばあちゃんはたくさんの親しい人たちに囲まれていました。
ばあちゃんのもとに寄り、「カマタが来ましたよ」と呼びかけると、ばあちゃんはそっと目を開けました。ぼくだとわかったようです。娘を探しました。娘はもう、母の最期と悟って、涙をボロボロと流しています。その娘に、ばあちゃんが声をかけました。
「先生にビールやってくれ」
■臨終に笑いと涙
これが、ばあちゃんの最期の言葉となりました。ぼくはてっきり、「よくみてくれて、ありがとう」なんて言うのかと思いました。しかも、いつもは「お茶、お茶」と言っていたばあちゃんが、今日に限って「ビール」。最期を自覚して奮発したように思えて、ついついぼくは臨終の場で笑ってしまいました。
するとぼくの笑いに引き込まれるように、集まっていた村の人たちに笑いが広がって、泣いていた娘も笑いだしました。
そのとき、ぼくの後ろにいた村のおじさんが言いました。
「さすが、ばあちゃんだ。最後の最期まで、人のことを考えてる。すごいな」
おじさんがそう言った瞬間、笑っていた娘は号泣し始めました。ばあちゃんが息をしている最期の時に、村の人にさすがだと褒められて、うれしかったのだと思います。
こういう最期を迎えると、残された人たちにも、生きる力が伝わっていきます。人生はこれでいいのだと、みんな納得していくのです。