先月25日、緊急事態宣言が全面解除され、政府からはスポーツイベントなどの観客数を段階的に拡大する方針が示された。そうした中で、21年東京オリンピック(五輪)の開催へ向けた各方面からの声を4回連続で掲載する。第1回は、医療の世界を身近に感じている3選手に胸中を聞いた。カヌーの佐藤彩乃(23=秋田病理組織細胞診研究センター)、バスケットボールの永田萌絵(22=トヨタ自動車)、ボクシングの津端ありさ(26=西埼玉中央病院)はアスリートとして、いま何を思うか-。

■カヌー佐藤彩乃 病理組織細胞診研究センター所属

所属先の秋田病理組織細胞診研究センター関係者らとポーズを取るカヌー女子日本代表の佐藤(前列中央)(秋田病理組織細胞診研究センター提供)
所属先の秋田病理組織細胞診研究センター関係者らとポーズを取るカヌー女子日本代表の佐藤(前列中央)(秋田病理組織細胞診研究センター提供)

佐藤は昨秋、国内の最終選考レースを制して東京五輪出場を決めた。所属する秋田病理組織細胞診研究センターは、がん検診などに必要な病理検査を手掛ける機関。秋田県カヌー連盟会長が医師として勤務する縁で、高校卒業後から支援を受け、練習環境が整うスロベニアを拠点に強化に励む。所属アスリートは佐藤だけ。カヌーに専念できる環境をつくってもらっていることに、「感謝しています」と実感を込める。

親戚には複数の医療関係者がいる。なかでも1歳年下のいとこにあたる男性は、秋田県内で看護師として、新型コロナに対処する現場の最前線で奮闘中。佐藤は先日、そのいとこと国際電話で会話を交わした。

佐藤 秋田県ではそこまで感染状況がひどくはないものの、依然として気を抜けない状態だと教えてもらった。親戚も含めて医療従事者の皆さんには、どうか無事でいてほしいと祈るばかり。本当に頭が下がる思い。

スロベニア国内での新型コロナウイルスの感染拡大状況は、日本より一足早く落ち着いたという。学校の授業再開や、シャッターを閉じていた店舗の営業再開などは早かった。

佐藤はこれまで通り、指導者のもとでカヌーに乗って水上で練習を重ねてきた。それだけに、同じカヌー競技者で、リオデジャネイロ五輪銅メダルの羽根田卓也が浴槽に張った水でパドル操作する動画を目にしたときは、心が揺さぶられた。

佐藤 羽根田選手だけでなく、ほかの選手のSNSを見ても、競技ができないなかで創意工夫しながら練習されていた。みんなすごいと思った。カヌーに乗って練習ができている自分は恵まれていると感じたし、だからこそ、事態が早く収束し、全員が同じ条件でオリンピックを迎えたい。

そんな思いがあるから、東京五輪延期については好意的に受け止めている。

佐藤 それまでは不安な気持ちもあったが、1年延期と発表されたことで、目指すところがはっきりした。気持ちは落ち着いた。

故郷秋田の、日本の、世界中でのコロナ禍が落ち着くことを願いながら、練習に励む毎日だ。

佐藤 アスリートとして、競技を通じて皆さんを勇気づけられる日は必ず来ると思う。そのためにも、自分ができることを精いっぱいやっていきたい。

その日を信じて、いまは異国の地でひたむきにパドルをこぎ続ける。【奥岡幹浩】

東京五輪出場内定を決めたカヌー女子スラローム・カナディアンシングル日本代表の佐藤(公益社団法人日本カヌー連盟提供)
東京五輪出場内定を決めたカヌー女子スラローム・カナディアンシングル日本代表の佐藤(公益社団法人日本カヌー連盟提供)

◆佐藤彩乃(さとう・あやの)1996年(平8)12月29日、秋田・仙北市生まれ。中学からカヌーを始め、秋田・角館高を卒業。秋田病理組織細胞診研究センターに所属し、現在はカヌー強豪国のスロベニアで研さんを積む。スラローム・カナディアンシングルで東京五輪代表内定。16年アジア選手権銀メダル。趣味はお菓子作り。好きな郷土料理はじゅんさいのお吸い物。162センチ、52キロ。

■バスケットボール永田萌絵 東京医療保健大を今春卒業

看護師の姉裕華子さん(左)と笑顔でツーショットに収まるバスケット女子の永田(本人提供)
看護師の姉裕華子さん(左)と笑顔でツーショットに収まるバスケット女子の永田(本人提供)

バスケットボール女子Wリーグ・トヨタ自動車のルーキー永田は、今年3月に東京医療保健大を卒業したばかり。4年時に主将を務め、チームを全日本大学選手権3連覇に導いた。在学中、自身は栄養学専攻だったが、看護学科で学ぶチームメートもいた。

医療従事者たちが、いまどれだけ大変か。そのことを身近に感じている最大の理由が、7歳年上の姉裕華子さん(29)の存在だ。千葉県内の病院に看護師として勤務し、新型コロナウイルス感染症患者を受け入れている病棟で働いている。

永田 姉とは頻繁に連絡を取り合っている。感染リスクがあるなかで働くことについて「怖い?」と聞いたら、否定はしなかった。でもそのうえで、「本当に不安を感じているのは患者さんのほうだから、私が不安がってはいけない」と、気丈な口ぶりだった。

少し年齢が離れた姉は、小さい頃から優しくて頼りがいがあった。大学入学を機に故郷の長崎から上京後も、近くで暮らす家族として支えてくれた。バスケの試合会場に足を運んで応援してくれたし、休日もよく一緒に過ごした。これまでも、これからも、ずっと仲良し姉妹だ。

永田 こういう状況下でも、患者さんを支えるために一生懸命仕事をしている。心配な面もあるけれど、尊敬する気持ちは大きい。

一般的な5人制のバスケットボールに加え、永田は3人制でもプレーする。今大会から採用されたその新種目で、東京五輪出場を目指している。昨秋に中国で行われた3人制U23ワールドカップ(W杯)では、決勝で強豪ロシアを破って金メダル獲得。持ち前のスピードを武器に、快挙達成に貢献した。

3人制女子は開催国枠による東京五輪出場権がなく、今年3月にインドで予定されていた五輪予選は中止された。先行きが見通せない状況下にあっても、前向きな姿勢は崩さない。

永田 東京五輪が延期されたことで、準備できる期間が延びたと捉えている。1年後にしっかりレベルアップした姿を見せたい。

長い自粛期間中は思うような練習ができずにいたが、体幹トレーニングを重ねるなどして体力強化に励んできた。

永田 私たちが生活できているのも、看護師の方たちが医療現場を支えてくださっているおかげ。感謝の気持ちを忘れずに、自分ができることをしっかり探していきたい。

大好きな姉をはじめとする医療従事者への敬意を胸に、アスリートとして、世の中を元気づけられる日が来ることを待っている。【奥岡幹浩】

東京医療保健大時に主将を務めた永田(佐藤昌志氏撮影)
東京医療保健大時に主将を務めた永田(佐藤昌志氏撮影)

◆永田萌絵(ながた・もえ)1997年(平9)6月20日、長崎・佐世保市生まれ。小4でバスケを始め、長崎商高から東京医療保健大に進学してインカレ3連覇。3人制でもプレーし、19年にはU23W杯で日本の金メダルに貢献した。20年春にWリーグのトヨタ自動車入り。憧れのバスケットボール選手はNBAレーカーズで活躍したマジック・ジョンソンで、同じ背番号32をつける。172センチ、65キロ。

■ボクシング津端ありさ 消化器外科看護師

職場でマスク姿で働く津端ありさ(本人提供)
職場でマスク姿で働く津端ありさ(本人提供)

ゴーグルにマスクに手袋。それが津端がコロナウイルスと闘う、いまの医療現場の日常になった。「どこにリスクあるかわからないので、病院で働く方はみんなですね」。西埼玉中央病院の消化器外科。東京五輪の女子ミドル級代表候補は、そこで看護師としてコロナ禍の現実を見つめてきた。

「病院全体で、いままで通りではないです。発熱に対応して働くので、いつもと違うので大変なところはあります」。従来の感染症対策とは異なる動きが求められる。発熱患者に付き添う看護師は他の患者に接触することはできない。そのため、1人が受け持つ患者数なども多くなる。「普段の業務より、1人でかかる業務は多くなります」。津端もこの期間で発熱患者の担当に回ることもあった。

3月、東京五輪の代表がかかったアジア・オセアニア予選(ヨルダン)は初戦で敗退した。ダイエット目的で始めたボクシング歴はわずか2年。初の公式戦だった昨年の全日本選手権を1回戦にRSC勝ちで初優勝し、史上最短の1勝で日本代表候補に。ただ、世界で戦うには経験不足はいなめなかった。当初は5月にフランスで予定されていた世界最終予選への派遣は見送られる方針だった。「結構たくさん打たれたし、見送られるのも分かる気がした。悔しい気持ちもあった」とする中で、3月中旬に真っ先に医療現場に復帰をした。「医療従事者としての責任と覚悟があると思いました」と振り返る。

事態は動き、その最終予選が延期となったのはその後。いまは週3、4回の勤務と並行して、制約の中で練習に励む。換気された広い空間でトレーナーとのマンツーマン指導や、公園での走り込み。サンドバッグを打つことはかなわないが、焦らずに過ごす。「延期した理由はうれしいことではないが、1年というのは自分の中では大きい」。日本連盟は、延期期間の伸びしろを考慮し、派遣する方針に変更してくれた。東京五輪への目が残った。

個人的には当然、出たい。同時に医療従事者として、苦悩もある。「医療現場を見ていると、1年後にどれだけコロナが終息しているかわからないですけど、多くの方が亡くなり、その方の親族の方もいる。1年後に楽しいものというか、五輪を心から楽しめる状況になっているのかなというのは正直あります」と明かす。

ただ、接する患者から応援の言葉をもらうこともある。「うれしいですね。本当に」と心に染みる。アスリートでありながら、医療従事者でもある現実。そのどちらにも覚悟を持ち、いまを生きる。【阿部健吾】

1月の代表合宿でトレーニングに励む津端
1月の代表合宿でトレーニングに励む津端

◆津端(つばた)ありさ 1993年(平5)6月9日、埼玉・所沢市生まれ。高校まではバスケットボール部に所属していた。専門学校を出て看護師に。ボクシングはダイエット目的で、2年前にコサカジムで開始。当初85キロの体重は激減し、いまは食事量を増やすなどしてミドル級(75キロ)を維持する。右ボクサーファイター。171センチ。