東京オリンピック(五輪)開幕まで100日を切った。その後のパラリンピックも近づいている。依然、新型コロナウイルス感染拡大が止まらない。開催にはコロナ禍にどう対応するかが、大きなポイントとなる。原則、外国から入国させない措置を取るオーストラリアが厳しい感染症対策で約1カ月遅れの2月に、テニスの4大大会開幕戦全豪オープンをやり遂げた。錦織圭(31)やダニエル太郎(28)を含む男女計72選手は、入国後2週間、ホテルの部屋から1歩も出られない完全隔離を強制されるなどした。その約1カ月を体感した車いすテニス世界王者の国枝慎吾(37=ユニクロ)の経験から、東京オリンピック・パラリンピックの対策を探る。【取材・構成=吉松忠弘】

隔離期間中の練習で、誰もいない会場(本人提供)
隔離期間中の練習で、誰もいない会場(本人提供)

1月29日。大坂なおみが出場したアデレードでの非公式戦を見て、世界の人が驚いた。有観客で大半がマスクなし。国枝も最初は驚いたという。

国枝 隔離期間中、練習に行くときに、車から街の人を見る。みんな全然、マスクをしていなかった。これってありかな? と思った。

オーストラリアは20年3月から、原則、外国人の入国を禁止している。全豪開幕直前の2月8日時点で、新型コロナウイルスの死者は計909人。21年はゼロで、メルボルンが州都のビクトリア州では感染者ゼロの日も珍しくはない。マスクなしの“自由”な世界。そこに至るための厳しい方法や正確な期日が確定したのは、わずか1週間前のメールだった。

国枝 (1月)15日の深夜1時ぐらいにシンガポールをたつチャーター便に乗れ、と。隔離のホテルも決められており、自分では選択できなかった。

シンガポールまでは定期便で移動。そこから、西岡良仁ら一般の日本選手たちと一緒に、チャーター便に乗り込んだ。各チャーター便は、乗客の人数を最大75人、機種の最大20%に絞っていた。到着したメルボルン空港は全く人の気配がなかった。

全豪関係者は倉庫のような場所に集められ入国の手続きをこなした。検温、健康チェックなどを行い、専用バスで隔離ホテルに直行。自前のマスクは破棄させられ、新しいマスクが配られた。

国枝の隔離ホテルは、通常時なら全豪の大会公式ホテルだった。市内でも最高級クラス。ロサンゼルスから飛んできた錦織も同じホテルだった。慣れ親しんだホテルのはずだが、その模様は一変していた。

国枝 青い防護服を着た人がたくさんいて、各フロアには2人ぐらいの警備員。僕は、部屋まで荷物をトレーナーに運んでもらったが、僕の部屋にトレーナーが入ったと、大会側に警備員から連絡が行った。大会から注意のメールが来て、少し驚いた。

隔離ホテルの受付と隔離従事者(本人提供)
隔離ホテルの受付と隔離従事者(本人提供)
隔離ホテルの感染対策受付(本人提供)
隔離ホテルの感染対策受付(本人提供)

そこから2週間の隔離生活が始まった。解除されるまで、連日、部屋で計13回のPCR検査を受けた。方法は日によって違い、鼻からか唾液によるもの。唾液検査の方が多かったという。検査結果、濃厚接触者の追跡、練習日程連絡、食事配膳などのため、スマートフォンに専用アプリをダウンロードする。検査結果は、毎回、約1日後には届いた。

食事は1日3食、大会側から支給された。滞在3日目ぐらいから、朝昼晩の各食事を3種類の中から選べるようになった。スナック菓子のようなものも届いた。食事は部屋の前に置かれた。

国枝 自腹で(宅配の)ウーバーイーツも頼めた。ホテルまで配達され、隔離従事者が受け取り部屋まで届けてくれる。ホテルにいる間、食事を部屋に入れるときだけが、自分からドアを開けていい瞬間だった。

隔離解除後、隔離ホテルの警備員から陽性が出て、ドライブスルーで検査を受ける国枝(本人提供)
隔離解除後、隔離ホテルの警備員から陽性が出て、ドライブスルーで検査を受ける国枝(本人提供)

3日目から、1日2時間の練習を含む5時間の外出が許可された。練習相手は常に同じ。コホート(仲間)と呼ばれる相棒は、国枝の場合、16年リオ・パラリンピック金メダルのリード(英国)だった。練習以外の3時間は、90分のトレーニング、1時間の会場での食事、送迎の30分。自由時間は全くなかった。

国枝 それでも、5時間、外出できるのは全然違った。外気が吸える。日本で行っている練習の時と、それほど変わらない形。錦織君のように、完全な缶詰めは、相当に厳しいと思う。

隔離が解除され、チェックアウト後は、自分の滞在するホテルに送迎され、“自由”となった。

国枝 対策は徹底していた。練習コートに仮設のトイレがあるが、1人が使用した後は、徹底的にクリーニング。空いてても5分ぐらい必ず待つ。また、練習会場で、他の選手と会い、ハイタッチしようとすると、すごく注意されていた。

国枝は昨年の全米、全仏、この全豪と3大会の感染対策を経験した。全米は、会場と滞在先との往復だけに限定され、街には行けない「バブル」と呼ばれる方式だった。全仏は、滞在ホテルに一般の人が宿泊していた。検査はあるが、行動はある程度、自由だった。そして、2週間の隔離さえクリアすれば、全豪はほぼ自由だった。

国枝 コロナに関する安心感は、全豪が飛び抜けていた。ただ厳しい2週間は本当に長い。全豪本番まで、車いすテニスの場合、入国してから約1カ月がかかる。これは長すぎる。

隔離された練習会場にある簡易トレーニングテント(本人提供)
隔離された練習会場にある簡易トレーニングテント(本人提供)
会場では最低1・5メートルの社会的距離を求められる(本人提供)
会場では最低1・5メートルの社会的距離を求められる(本人提供)

8月24日からは、国枝も出場する東京パラリンピックが開催予定だ。どの形が最も適しているのか。国枝の意見は全米だ。

国枝 全豪みたいに、国に感染者がほとんどいない状態なら、全豪パターンはあり。でも、日本はそうではないので、全米方式が現実的だと思う。会場にいられる時間制限もないので。

全豪の終盤、タイリー大会最高経営責任者が会見。東京五輪の感染対策が記されたプレーブックについて、「詳細に読んだが、これでは感染対策はできない。我々のやり方の方が数段、防止できる」と、厳しい感想を話している。安心安全な大会開催とはどのようなものなのか? 国枝の経験は重いものといえるのではないだろうか。

◆国枝慎吾(くにえだ・しんご)1984年(昭59)2月21日、千葉県柏市生まれ。小6で車いすテニスを始め、06年に初の世界ランキング1位となる。07年、車いすテニスの男子シングルス史上初めて、年間4大大会全制覇を達成した。パラリンピックには04年アテネで初出場。斎田悟司と組んだダブルスで金。北京、ロンドンではシングルス2連覇。最新の世界ランキング1位。所属はユニクロ。

19年8月、「東京2020パラリンピック1年前イベント」に参加した車いすテニス男子の国枝
19年8月、「東京2020パラリンピック1年前イベント」に参加した車いすテニス男子の国枝

<全豪閉幕までのタイムライン>

◆20年12月19日 開幕を21年1月18日から同年2月8日に延期することを発表。

◆21年1月10日 男子はドーハ、女子はドバイで、大会史上初の国外での全豪予選開始。

◆同月15、16日 ドーハ、アブダビ、ドバイ、ロサンゼルス、シンガポールから、チャーター機15便で選手、関係者1016人がメルボルンとアデレードに入国。

◆同月16日 チャーター機3便から5人の陽性者。錦織圭、ダニエル太郎を含む同乗の男子39人、女子31人、車いすテニス2人の計72人が、濃厚接触者として、2週間、部屋から1歩も出られない完全隔離が決定。

◆同月25日 2週間の隔離で、1万2543回のPCR検査を行い、8人が陽性。

◆同月29日 アデレードでエキシビション試合開催。大坂なおみが出場。

◆同月31日 全豪前哨戦男女各3大会すべてが全豪会場で開始。

◆2月4日 3日に隔離ホテルの1つに勤務していた警備員の感染判明。同ホテルに滞在していた選手、関係者507人が全員検査。4日は大会は行われず。

◆同月8日 全豪テニス開幕。1日3万人か、収容の最大50%までの有観客。

◆同月12日 メルボルンで13人の感染者確認。ビクトリア州は13日から5日間のロックダウン(都市封鎖)を発表。

◆同月13日 ロックダウンに伴い全豪は無観客開催。

◆同月18日 ロックダウン解除で有観客再開。

◆同月20日 女子シングルスで大坂なおみ優勝。

◆同月21日 男子シングルス決勝を最後に全豪閉幕。