【パリ29日(日本時間30日)=松本航】スケートボード男子ストリートで堀米雄斗(25=三井住友DSアセットマネジメント)が2連覇を果たした。45秒間で技を自由に演技する「ラン」2回の最高得点と、一発技の「ベストトリック」5回中上位2本の得点との合計で競う方式で281・04点を記録。初代金メダリストとなった21年東京五輪に続き、夏の祭典で頂点に立った。2位のジャガー・イートン(米国)を0・10点差で振り切った。白井空良(ムラサキスポーツ)は278・12点で4位となった。

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右手前方にはエッフェル塔。日差し照り付けるコンコルド広場で、堀米は集中していた。メダル圏外で迎えたベストトリックの最終試技。五輪王者を後押しする大歓声が響いた。着地を決めると、ボードを左足で蹴り出して喜びを爆発させた。全選手トップの97・08点で一気に首位浮上。米国勢2人がミスで終えると、ボードを右手で掲げて、2連覇の確定をかみしめた。

日本のエースは、どん底からはい上がった。東京五輪後の3年間は、苦難の連続だった。五輪予選シリーズから新たにランの得点が必ず反映されるルールが採用。ベストトリックを得意とする堀米にとっては向かい風となり「(東京五輪後は)地獄のような3年間」と、結果が残せない大会が続いた。それでも同シリーズ最終戦で優勝。最後の最後に日本勢5番手からはい上がり「何とか乗り越えられて、光が少しずつ見えてきている」。手応えを得て帰ってきた夢舞台だった。

自己分析する性格は「負けず嫌い」。競技を始めた6歳の頃から、そのスタンスで勝ち上がってきた。父亮太さんの影響で地元の大島小松川公園で競技を開始。SSPと呼ばれる一角で、競技経験者の父から絶壁のような場所から滑らされる“超スパルタ教育”を施された。毎日体をあざだらけにしながら、泣きながら滑った。暇さえあれば映像で技を研究。できるようになるまで、辞めなかった。

東京・聖進学院高卒業後の17年から、本格的に本場の米国に活動拠点を移した。当初は英語もしゃべれず、コミュニケーションも苦手。それでも「スケボーで会話していた」と競技が共通言語だった。「絶対に行き詰まるときはあるけど、そこで諦めたらダメ。少しずつでいいから頑張っていければ、その壁は越えられる」。そう自分を信じた。

4位で終えたこの日の予選同様に、米国勢2人が上位に立った。それでも諦めることなく、世界中が認める王者の底力を示した。

最後まで諦めなかった男は、どこまでも強かった。

◆堀米雄斗(ほりごめ・ゆうと)1999年(平11)1月7日、東京・江東区生まれ。6歳の時に競技を開始。高校卒業後の17年から本格的にアメリカに活動拠点を移した。18年に世界最高峰の「ストリートリーグ」第1戦で日本人初優勝を遂げ、3連勝を達成。20年秋には長年の夢だった「アメリカで家を買う」を実現。21年の世界選手権で初優勝し、世界ランキング2位で出場した東京五輪で初代金メダリストに。170センチ。