【パリ6日=阿部健吾】グレコローマンスタイル男子60キロ級の文田健一郎(28=ミキハウス)が日本勢として40年ぶりの同スタイルで金メダリストとなった。決勝で曹利国(中国)を4-1で撃破した。銀メダルだった東京五輪の雪辱を果たそうともがいた3年間の転機は23年世界選手権。世界王者を争い決勝で敗れた相手、ジョラマン・シャルシェンベコフ(キルギス)との“対話”だった。84年ロサンゼルス五輪宮原厚次以来の頂点につながったレスラー同士の熱き交流-。
◇ ◇ ◇
「お前のスタイルはこれだろ!」。言葉ではない。体で訴えかけられた。1年前だった。そこから、金メダルへの道は始まった。
23年9月、文田は世界選手権の決勝を戦っていた。その開始直後だった。相対したシャルシェンベコフが豪快な投げ技を見舞ってきた。4失点しながら、焦りではなく意志を感じた。「びっくりで。手堅くくるかと思ったのに。自分がこだわってきた投げを見せつけられた気がして」。
「投げてナンボ」。日本ではマイナーなグレコローマンスタイルを愛する父敏郎さんから、擦り切れたビデオ映像を見せられたのが転機だった。映っていたのは上半身だけの攻防で、豪快な投げ技を見舞う外国人。魅了された。父が指導する韮崎工高のボードに貼られたモノクロの写真。見事な反り投げの1枚も、道標になった。
東京五輪の決勝がその信念を揺るがした。キューバ選手の徹底した組み手に投げを封じられ、敗れた。号泣した。パリで勝つために、勝ちにこだわる守備からのレスリングを追求した。投げ技は封印-。
「その時はつらいと思ってなかったですけど、ああいう心境のままレスリングはやりたくないですね、いまは」。五輪に勝つためなら仕方ない。新婚生活で「自分が誰よりもレスリングが好き」と笑っていた姿は消え、使命感は悲壮感すら漂わせた。
その最中に迎えた23年秋、世界一を決める決勝だった。シャルシェンベコフはずっと思っていた。「フミタの東京の決勝はほんとに残念だった。あれは本来じゃない。私は彼の投げが好きなんだ」。以後の試合にも納得していなかった。身をもって示したかった。リスクを恐れずに投げに出た。そして文田は感じ取った。言葉はいらない。グレコの神髄を体現するように投げ合った。「ベストファイトだった」「おれもだ」。2人で試合後に交わした。
「目覚めた。全部を出して、もう一度戦いたい。それが感謝を伝える手段だと」。その黒星はパリでの再戦を促し、何よりも迷いを消した。守備的な戦術を無駄にはしない。そこに効果的に投げ技を仕掛ける。「ハイブリッド」を完成させる。そう腹を据えた。
1年後、8月5日、パリ。シャルシェンベコフとの準決勝で恩返しの機会が巡ってきた。再び体で会話する。失意が生んだ勝ちきる守備的なスタイルも否定しない。差し合いでせめぎ合う中で、隙を与えない。今度の文田は投げられない。迎えた第2ピリオド。本来は胴体に両腕を回してクラッチして投げる代名詞の反り投げで、仰天の一本がでた。つかんだのは相手の左腕一本。カウンターの投げ方が、進化を象徴した。4点を挙げて試合を決めた。膝をついてうなだれる恩人を「ありがとう」と抱き上げた。
体で会話した男の夢を終わらせた。負けられない。翌6日の決勝は勝ちに徹した。曹の攻め手をつぶし、第2Pに訪れた寝技の好機に相手を回して勝負を決めた。「この大会は3年間目指した、最終的に行き着いたレスリングの全てが出た」。涙はない。王者の行進で日の丸の旗を背にゆっくりマットを回ると、中央に歩を進めて一本指を天に突き上げた。「東京でできなかった事。世界選手権で勝っても本当の頂には立ってなくて。五輪こそ本当の頂。昨日、エッフェル塔を見ながら、あんな風に1番輝いて勝ちたいと思った」と実現させた。
大会を終えて信念の行方を思う。「投げなきゃいけない、投げる事が正しい。そうじゃなくて、相手の嫌なスタイル、前に出られるスタイルを貫く事で、投げるチャンスが生まれる。解釈の仕方は今回でしっくりきました」。父が授けた「投げてナンボ」の精神を自己流で一歩前へ進めた。
表彰式、銅メダルを獲得したシャルシェンベコフと並んだ。「思い返せないぐらいたくさんの苦悩や葛藤があった。その分、うれしい事、たくさん支えてくれた事、本当にいろんな事があっていまの自分がいる」。生き様を教えてくれたライバルへの、言い尽くせない感謝もこもっていた。
◆文田健一郎(ふみた・けんいちろう)1995年(平7)12月18日、山梨県生まれ。韮崎工高では高校グレコ選手権3連覇。世界選手権では17年に日本勢のグレコで83年の江藤正基以来34年ぶりの優勝。19年も優勝。無類の猫好きで、猫カフェに3時間滞在。いまは「しょうが」と「わさび」の2匹も家族。驚異の柔軟性から「にゃんこレスラー」の異名も。父の教え子だった米満達弘の応援で12年ロンドン五輪へ。会場で優勝を見届け、メダルにも触ったのが五輪へのあこがれの原点。168センチ。



