<W杯アジア3次予選:日本1-0バーレーン>◇22日◇2組◇埼玉

 日本代表MF中村俊輔(29=セルティック)が、最終予選へ向けて、新たな攻撃パターンの確立を訴えた。前半5分に右隅を狙ったPKを、04年2月18日のオマーン戦同様、GKにはじかれた。最初の得点機をつぶし、苦しい流れを自ら演出してしまった。それでも国際Aマッチ出場数を78に伸ばし、中田英寿氏の77を超えた。仲間から絶対の信頼を寄せられる司令塔は、これからの厳しい戦いを見据えた。

 4年前の悪夢がよみがえった。前半5分、仲間がつくってくれたビッグチャンスに、中村俊は自らPKポイントにボールをセットした。短い助走。1度ステップを止めてGKの動きをちらっと見た。「右へ飛ぶ」。それが分かった上で、あえて右へ蹴った。右に蹴るつもりでいたし、雨で湿気を含んだピッチで急に方向を変えるのは危険と判断したからだ。だが左足を蹴り上げた直後、GKにボールがはじかれるのを確認すると、下を向いて悔しがった。

 この日は、2軍に近いバーレーン相手に、苦戦を強いられた。自分のPKミスに加え、玉田のミスキック、本田の詰めが甘いなど、自滅の展開。「1+1が3か4にならないと、強い国には通じない。サポートとか、おとりだったり、みんなで連動しないと難しい」と、最終予選への課題を挙げた。

 打開策はこの合宿で仲間に伝えている。「ボランチが前線に飛び込むときは、まっすぐじゃなく斜めから入るとか、サイドからクロスを上げるときの工夫、ボールがサイドにある時の、逆サイドの動きも、個人個人に伝えている。僕もそうだけど、最終予選まではもっと強くなって集まると思うよ」。

 00年2月13日のシンガポール戦で代表デビューし、この日で78試合を重ねた。目標としていた「ヒデ超え」を果たした。思えば、中田氏の存在があるから、今の自分がいる。02年のある代表戦後、控室のシャワー室で中田氏の姿が目に入った。「ヒデさんの腕は僕の倍はあった。セリエAでプレーするにはあれくらいのパワーがないとダメなのかな」。

 02年W杯メンバー落選後、欧州行きを決めたが、体幹を鍛えてボディーバランスを良くし、欧州で耐えられる体をつくった。押しも押されもしない代表の中心は、これからもチームを引っ張り続ける。【盧載鎭】