スポーツ界などで活躍する静岡県人を紹介する企画「静岡人魂」に、静岡市出身でJ3いわてグルージャ盛岡(岩手)の元日本代表MF水野晃樹(清水商出、38)が登場です。昨年、アマチュアクラブからプロに復帰。今年9月に39歳を迎えるベテランの近況や、これまでのキャリア、地元静岡への思いなどを語ってもらいます。【取材・構成=神谷亮磨】

水野は今月6日のJ3アスルクラロ沼津戦で途中出場した。スタンドでは両親も観戦。同17日のルヴァン杯セレッソ大阪戦ではキャプテンマークを巻いてピッチに立った。静岡で生まれ育ち、世界や日本のトップレベルで戦ってきたプレーは健在だ。

水野 去年よりも体は動けているし、もっとよくなっていくと思う。

20年シーズンでJ3のSC相模原を退団。2年間は神奈川県社会人1部「はやぶさイレブン」(現関東社会人2部の厚木はやぶさFC)でプレーした。プロからアマチュアを経て、岩手で再びプロの世界に戻った。

水野 純粋にうれしかったし、責任も感じた。実は、去年の1年で現役を引退するつもりだった。

昨オフに岩手から1年間の契約延長オファーを受け、現役続行を決断した。

水野 今は選手としてプレーしながら、週2回下部組織のコーチもやらせてもらっている。すごく刺激的でやりがいも感じている。

今年9月で39歳。日本代表やスコットランドの名門セルティックでもプレーした。

水野 日本代表はテレビで見ていた人と一緒にやったので、自分でも不思議な感覚だった。セルティック移籍前は9割の人が「まだ早い」と反対して。でも、チャンスを逃したらもうないと思って即決した。

セルティックでは11試合出場で1得点。「失敗だった」という声も多い。

水野 結果は残せなかった。でも、自分の中では失敗だと思っていない。行かなければ分からないこともあるし、行ったことで立ち位置も見えた。現役を続けられているのもそういう経験があったからだと思う。

サッカー選手としての土台は静岡で築かれた。

水野 自分の中では原点。子どものころは近所の広場にサッカーゴールが普通にあったし、友達とボールを蹴ることが日常だった。小学校の時にJリーグが開幕して、プロになるという気持ちはずっとあった。

特に清水商(現清水桜が丘)での3年間が大きかった。

水野 精神面やフィジカル面を鍛えられたのが高校時代。自分のスタイルがそこで確立された。あまり知られてないけれど、高校卒業前に筑波大をスポーツ推薦で受けて、落ちてしまった。進路が決まらない中で、ジェフ(千葉)に声をかけてもらった。

年齢を重ねても、情熱だけは冷めない。

水野 純粋にサッカーが好きという思いが原動力になっている。柏でJ1とJ2で優勝して、天皇杯もとれた。ジェフではナビスコ杯で優勝しているので、個人としてはJ3優勝だけがない。どうしてもそのタイトルがほしい。J3優勝でJ2昇格が今の目標。

静岡で応援している人も多い。その思い、声は本人にも届き、原動力の1つにもなっている。

水野 清水出身というのが自分の中でも誇り。まだ、こんなおじさんでも頑張っているというのを示したいので、静岡から応援してくれたらうれしい。

◆水野晃樹(みずの・こうき)1985年(昭60)9月6日、清水市(現静岡市清水区)生まれ。04年に清水商(現清水桜が丘)から市原(現千葉)入団。08年からスコットランドの名門セルティックで3季プレーし、11試合出場1得点。その後は柏、甲府、千葉、仙台、鳥栖などでプレー。日本代表国際Aマッチ4試合出場。Jリーグ通算215試合出場17得点。173センチ、66キロ。家族は夫人と2男。