サッカー元日本代表のJ3アスルクラロ沼津FW川又堅碁(34)が22日、俳優の田中道子(34)との結婚を発表した。

浜松市出身の田中が子どもの頃、隣の磐田市がホームのJ1ジュビロ磐田を応援するなどサッカーファンだったこともあり、17年に川又が名古屋グランパスから磐田に移籍後にサッカー関係者の集いなどで知り合った。その後、親交を深める中で、真剣交際に発展したという。

川又は184センチ、77キロの屈強な肉体を生かした最前線での豪快なプレーと、彫りの深い顔と丸刈りから“サムライ”とも呼ばれる。磐田では移籍初年度の17年、そして18年と2年連続で2ケタ得点を記録。18年10月にはカタールW杯を目指した第1次森保ジャパンに追加招集され、国際親善試合パナマ戦に途中出場、同ウルグアイ戦でもベンチ入りした。

ただ、半年後の19年4月28日の磐田-札幌戦で右肩関節を脱臼。まひが残り4カ月離脱すると、チームは最下位の18位でJ2に降格し、自身もサッカ人生初の0円提示を受けた。翌20年は、J2千葉の沖縄キャンプに練習生として参加して契約を勝ち取るも、長年苦しんだアキレス腱(けん)痛に悩んだ。同年こそリーグ戦27試合に出場し、6得点を挙げたが、21年には右足かかと付近の骨棘(こっきょく)が折れ、リハビリで1年を終えた。22年も復調せず公式戦2試合、わずか2分の出場に終わり契約を満了した。

川又が苦闘の日々を過ごす中、田中はコロナ禍に入って1級建築士試験の受験を決意。21年7月に始動し猛勉強の末、22年末に合格した。そんな田中の姿に背中を押されたのか、一時は引退すら覚悟した川又も、23年1月18日にインスタグラムでアキレス腱(けん)再生治療「テネックス」を受けたと報告。「絶対戻ったるからな」と決意をつづり、無所属で半年間のリハビリを続け、同8月に沼津に加入した。10月の岐阜戦では移籍後初ゴールを決めた。

沼津2季目の今季は、公式戦12試合中9試合に途中出場し、3月20日の宮崎戦で今季初ゴール。1級建築士免許の申請に必要な2年の実務経験を積んでいる田中も芸能活動の合間を縫い、沼津のホームゲームの際はスタジアムに足を運んでいるという。10節を終えJ2自動昇格圏2位の沼津に、田中と川又の結婚という明るい話題が、さらに勢いを与えそうだ。

 

◆川又堅碁(かわまた・けんご)1989年(平元)10月14日、愛媛県西条市生まれ。県立小松高2年時の06年にJ2愛媛の特別指定選手になり、同9月23日の水戸戦でJリーグデビュー。卒業後の08年にJ1新潟入団。10年にブラジル・カタンドゥベンセに半年間の期限付き移籍。新潟に復帰後、12年に期限付き移籍したJ2岡山で18得点とブレイクし、翌13年に新潟に復帰しJ1得点ランク2位の23得点。名古屋時代の15年にハリルホジッチ監督政権下の日本代表に初招集。J1通算213試合出場70得点、J2通算69試合出場24得点、J3通算17試合出場2得点。国際Aマッチ9試合出場1得点。