「柔道家」海老沼匡(31=パーク24)を巡る証言の中で最も印象に残っている言葉がある。

「本当の強さは優しさだということをみんなに伝えたんじゃないですか」

中学から6年間研さんを積んだ柔道私塾の「講道学舎」。会長を務めていた「ママさん」こと中山美恵子さんに当時の様子を聞いた時だった。引退を発表したいまだからこそ、その言葉が頭の中を駆けた。

強さは優しさ。「普通は厳しさが度を越していじめになったりするんだけど、彼はそれをすべて守ってましたね。自分が上級生になったときに、一番弱いことかを守っていく、正義感が強い」。高3では主将だった。寄宿制の寮部屋の主将部屋にまで、畳を模したフローリングを敷いた。寝ても覚めても「道場」だった。そのストイックな姿を後輩、仲間には決して強要しなかった。「魂のレベルが高い子。いやらしさがない。ねたみとかもまったくない。ただ柔道のことを真剣に考える。邪念がない」。ただ、無言で仲間に語りかけた。

己には厳しく、他人には優しく。それは、柔道の本質を体現していた。ママさんは当時、こうも語っていた。「彼がいる、いないでは日本のチームは全然違うと思います。彼がいることで日本が一番良い状態に仕上がると思います」。16年リオデジャネイロ五輪までの4年間、日本男子チームを取材して、この言葉の意味を常々感じた。誰もが一目置き、尊敬していた。「匡先輩は…」という言及を、他の選手から何回聞いただろう。

15年5月、フランスに単身修業に向かう、出発、帰国の成田空港での姿も思い出される。「殻を破る」。柔道一直線の青春。11、13、14と世界選手権3連覇。結果も残しながら、柔道以外の修業が、畳でも生きると井上監督に勧められた。旅立つ姿に1人で姿を見せた。空港のチェックインの仕方にも少し戸惑うなか、その右手にはフランスの柔道関係者への手土産という煎餅の紙袋。「これがいいかなと思って」と照れくさそうにした。きまじめさと、その何とも古風なチョイスに「柔道家らしさ」を感じた。

再び、約2週間後の成田空港。アプリも駆使しながらの刺激たっぷりのフランス生活を終えて帰国した。真っ先に言及したのは柔道の練習方法の違いについて。「僕ら日本人はきついことしてなんぼ、なところがあると思うんですけど、フランス人は楽しめばいいという感じがあって。みんな練習前とかじゃれ合って技の掛け合いとかしてるんです。好奇心でやっているのかなと」。知見が広まり、少し考え方も変わったのかと思ったが、続いた言葉は…。「いままで練習で楽しいことというのはなかった。ただ、日本が一番練習はしている。負けたくないと思いました」。その誇りと覚悟。やはり、海老沼匡は海老沼匡だった。

小学生の時。先に講道学舎に入門していた兄たちの試合を会場で観戦していた。熱心に誰よりも応援しながら、手にはノートが握られていた。兄たちの試合に限らず、見られる試合はすべて詳細を書き記していた。日本代表になり、井上監督、コーチ陣との情報共有のノートが渡された。試合の振り返りなど、事細かに、最も密度濃く書いてくるのは海老沼だった。ファイルは誰よりも厚くなった。

小さい頃から、変わらない。それは優しくあることも、柔道家としてどう屹立(きつりつ)していたかも。

「彼がいるといないでは、日本のチームは全然違う」。間違いない。指導者という立場で、ずっと日本を支えてほしい。【阿部健吾】

「講道学舎」の先輩になる古賀氏(右)と記念撮影。右から2人目が海老沼
「講道学舎」の先輩になる古賀氏(右)と記念撮影。右から2人目が海老沼