美しい光景だった。後半ロスタイムのラスト1プレー、トライ後の右隅からのコンバージョン。決まれば31-31の同点になる。大東大のCTB戸野部謙(3年=岐阜工)が蹴ったボールは、きれいな放物線を描いた。花園を静寂が包む。その直後、大東大の選手たちが戸野部の方へ全速力で駆け寄った。ベンチにいた選手もグラウンドへ飛び出した。ボールは、わずかにそれていた。

それでも、まるで勝ったかのように1人の選手を抱きしめ、みんなが笑顔だった。残り1秒まで諦めず、力を出し切った充実感がそうさせたのかも知れない。花園の観衆は立ち上がって、敗者に拍手を送った。

「蹴る前にみんなから『何も考えずに思い切り蹴ればいい』と言ってもらいました。外れてしまって…。みんなが寄ってきてくれて…」

戸野部はそう振り返った。タッチライン際。強い向かい風が吹いていた。

7点差を追って後半ロスタイムに入り、ラスト1プレーのホーンが響く。最後の望みを託したモールで2点差に迫り、トライ数は5で並んだ。同点なら規定によりトライ後のゴールが多いチームが準々決勝に進む。同大のゴールは0。入っていれば、次戦に進んだのは大東大の方だった。

フッカーの酒木凜平主将(4=御所実)は最後の場面をこう明かす。

「自分たちの強みはモール。取れる自信はありました。ただ少しでもポストの方(中央)へと思ってモールを組んだんですけど、同志社さんの圧力が強くて、そこ(中央)に行けなかった。僕たちが(右隅からの)キックを(戸野部に)蹴らせてしまった。悔しいですけど、次のチームにつながる試合でした」

日下(くさか)唯志監督は「最後の最後まで頑張ってくれた選手を誇りに思う」と2度繰り返した。

80年から90年代にかけて大学選手権を制すること3度。そのうち戸野部の父晃典さんは80年代後半に2度、大東大のFBとしてNO8シナリ・ラトゥらとともに大学日本一になった。

モスグリーンの古豪は残り1秒まで死力を尽くし、大会を去った。【益子浩一】