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第408回    宮迫博之  
2004.04.04付紙面より

宮迫博之
写真=「み・や・さ・こ〜です」の決めポーズを分解写真にしたいんですが…。私のリクエストに宮迫さんはキョトン。インタビューでどんな写真を撮らせて頂こうかと考えた。私のイメージは、トーク番組で楽しくおしゃべりする姿。でも普通の笑顔の写真では物足らない。私は妻に電話した。「ねぇ、宮迫さんで思い出すのは?」。妻いわく「み・や・さ・こ〜です」と一言。んじゃ、それで。宮迫さんは「分かりました!」と快諾してくれた。さぁ、みなさんもご一緒に!
(撮影と文・中島郁夫)

嫁さんあってのみやさこ〜です

 お笑い界の人気者として大活躍の雨上がり決死隊の宮迫博之(34)。しかしデビューから15年、ここまでの道のりは苦労の連続だった。一時は所属の吉本興業からも見放されかけたこともあったが、今やバラエティーの枠を飛び出し、映画やドラマに出演したり、歌手としてコンサートもこなす。しかし「基本は雨上がり決死隊」と話す。俳優でもなく、歌手でもない。本業はあくまで笑いだ。


ホントは優しい

 テレビで目にするハイテンションの姿を予想して待っていたら…。「お願いします」。妙に落ち着いた低めの声の主が登場した。ブラウン管に映る人懐っこい笑顔はなく、どっしりとした大人の雰囲気を漂わせる。まるで別人のようだ。「雨上がり決死隊」は、頼りなげなキャラでほんわかとツッコミを入れる蛍原徹(36)と、強烈なボケで派手にキレまくる宮迫の絶妙なかけあいが魅力の1つ。しかし、当の本人は−。

 「自分でいうのもなんなんですけどね、優しいんですよ。自分でいうと立場ないんですけど…。怒らないですもん。バラエティー(番組を)見てると、すごく怒るイメージがあるでしょ。でもね、まず怒らない。それは家庭でも同じ。嫌でしょ、その日1日ダメにしたみたいで」。

 夫婦ゲンカのときも絶対自分から謝る。例え自分に非がなくても謝る。

 「訂正しながら謝るんです、僕の言い方が悪かったって。そうしないと無視されますからね。それはさすがにかなわんから。でも、諭すような話し方が、嫁にとってはムカツクらしいんです。じゃあ、どないせいッて! ホンマに(笑い)。あっ、花の(宅配便)キューピットでプレゼント攻撃もします」。

 そんな、宮迫が本気で怒ったことがある。10年ほど前に出演していた深夜番組「吉本印天然素材」でのこと。同番組は、「雨上がり−」をはじめナインティナインら吉本の若手が出演したバラエティー。番組スタートと同時に注目を集め、人気者となった。しかし、笑いの方向性で演出家ともめ、潔く番組を降板した。

 「やりたくないことをやらされて。だんだん自分のやりたい笑いと違う方向に進んでいって。それで何回か衝突したんです。僕はこういうことをしたいって言ったら、それはよそでやったくれって言われたんです。それじゃ、オレちゃうやんけ。自分が目指す笑い? それは自分が心から笑える笑いです」。

 もともとは役者志望だった。役者になれる近道と思い、ダウンタウンら人気タレントを輩出した、吉本興業総合芸能学院の門をたたいた。

 「お笑いをステップアップにして、役者になったろと思ったんです。そしたら、完全にお笑いにはまってしまった」。

 だからこそ、お笑いに対して、真しな姿勢で向き合わないと、気が済まない。「僕が怒るときは、よっぽどなときだからね」。宮迫にとって笑いは、“よっぽどなこと”の1つになった。


留守中にAV…

 宮迫のネタによく登場するのが「嫁」さんだ。「勝気な性格」という夫人とは、15年前に知り合い、96年に結婚した。ちょうど、宮迫が大阪から東京に移り住んだころだ。

 「ある日突然、嫁から電話が掛かってきて。で、いきなり『結婚するか、一生会わないかどっち?』と聞かれたんです。でもそのとき、嫁とは前に別れた状態。ただ僕がすごく落ち込んでる時だったんで、思わず『うん』と言ってしまった〜。一応電話を切るときに『もうちょっと考えさせて』とは言っといたんですが…」。

 しかし次に電話で話したときには、式場も結婚衣装もすべて決まっていた。

 「そんなアホなぁー! ですよ。驚きました。僕は結婚願望がなくて、嫁と別れたんも、それが理由。嫁に細かく聞くと、どうやら(嫁の)妹が原因やったんです。イケイケの性格の妹が『そんなんやったら、(結婚)したらいいねん』って、けしかけてたんです。結婚して良かった? はぁ〜、へぇ〜、う〜」。

 ドラマ11作目となるフジテレビ系ドラマ「アットホーム・ダッド」(13日スタート、火曜午後10時)では、妻に代わって専業主夫に精を出す優介を演じる。実生活でも「疲れて帰ってきても、嫁は『(掃除)やって!』。風呂掃除は僕の仕事」と頭をかいた。予定外? の結婚や夫人の話に憎まれ口をたたきながらも、実に幸せそう。長男の陸君(3)をでき愛するお父さんでもある。

 「2人で(トレードマークの)『宮迫です!』をしてます。彼の名前も宮迫ですし。その横で嫁は、僕の芸を息子に仕込んでいるんです」。

 子どもの話になると、声が大きくなり口も滑らかになる。さらに続けて「(お笑いコンビDonDokoDon山口智充との音楽ユニット)くずの『ムーンライト』も、それっぽく歌えるんですよ」と自慢げに付け加えた。

 インタビュー当日、夫人は陸君を連れて里帰り中。ケンカではない。「ストレスをためやすい」という夫人への、宮迫なりの計らいだ。でも寂しいから毎日電話する。

 「帰ってきたら、すごく優しい奥さんに変身してるんです。互いのためにいいんですよ。今日はこれで(仕事が)終わり。Hビデオをガンガン見ますよ。Hビデオの見貯めです。なんの話してんねん。ハハハハハ」。

 そして、夫婦関係についてひと言。「嫁のノリに僕も乗っかっていく。いいバランスですよ」。


夢は格好いい父

 89年のコンビ結成以来、「今年こそブレーク」と言われ続けてきた雨上がり決死隊が、上昇気流に乗ったのが01年のこと。フジのバラエティー番組「ワンナイR&R」出演がきっかけだった。デビューから13年たっていた。その間、吉本の後輩ナインティナインやロンドンブーツ1号2号らに、次々と先を越された。

 「後輩が売れるのは、別になにも思わなかったです。あいつらの運やし。それより自分へのいら立ち。なんで自分の力を発揮できない状態にしてしまったんや、とずっと考えていましたね。やっぱりある程度の自信はありましたから。というより、別に能力がなくても自信はもっといたらいいんですよ。自分が面白い笑いが、本当の笑い。それ以外はダメ」。

 「吉本のはぐれもん」と自称する。勝手に東京に進出してきた。事務所から「何できたんや! 知らんぞ」と突き放されても、自分たちの意思で上京を決めた。トレードマークとなっている「宮迫です!」のギャグについてもクールに分析する。

 「あんなの嫌いですよ。全く(自分の笑いと)違いますよ。だって、ただあいさつしてるだけですやん。蛍原も『気持ち悪いな〜』ってマジに言ってました。オレのキャラじゃないのを理解してくれていたからね。今は大人ですから、世に出るための取っ掛かりぐらいに考えてます。『モーニング娘。』が、(歌の振り付けで)パクってくれたからラッキーでした」。

 現在レギュラー番組6本。山口智充と組んだユニット「くず」のCDは、26万枚のヒットになった。昔夢見た役者としても活躍し、演じる楽しさも知った。今後目指すところは−。

 「ようやく自分たちのやりたい笑いが、できるようになってきた。サラサラヘアの蛍原だって、昔はツッコミしてたんです。最近ようやくトーク番組で仕切るようになってきた。本来の姿です。目指すは笑いで、基本は“雨上がり決死隊”。役者は“雨上がり−”の一環です。もう1つは息子にカッコイイと思われるお父さん。あの人の息子でええなと思われるお父さんになりたい」。

 最後にまたひと言。「また嫁と面白いことがあったら、テレビで話しますよ」。期待してます。


腕前そこそこのダーツ

 <マイベスト1> 今、吉本の若手タレントの中で大ブームなのが、ダーツ。忙しいスケジュールの合間を縫って、みんなでダーツバー(ダーツのボードがおいてあるバー)に繰り出している。もちろん宮迫も時間があれば必ず参加し、日々練習に励んでいる。ダーツを始めて2年半で、腕前はそこそこ。ある程度までは順調にレベルアップしていたものの、今は伸び悩み気味とあって、次なる段階に進むため努力中という。


 ◆宮迫博之(みやさこ・ひろゆき) 本名同じ。1970年(昭和45年)3月31日、大阪市生まれ。金光第一高卒。88年吉本興業総合芸能学院に入学。89年に、同期生だった蛍原徹と「雨上がり決死隊」を結成。91年、日テレの深夜番組「吉本印天然素材」で注目される。92年「ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞」を受賞。01年にNHK大河ドラマ「北条時宗」でドラマ初出演。同年10月フジのバラエティー番組「ワンナイR&R」で人気を得る。その後、「救命病棟24時」「東京ラブ・シネマ」や映画「13階段」に出演し、03年「蛇イチゴ」で映画初主演。169センチ、60キロ。血液型B。


(取材・平田淳)

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