五輪3度の金メダルに輝き、スノーボード界の象徴だったショーン・ホワイト(35=米国)が現役最後の試合を終えた。

メダルに届かずも、万感の4位。五輪におけるスノーボードの価値を変えてきた男は、激闘を続けてきた平野歩夢(23)らにエールを送り、戦いの場を去った。

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パイプのど真ん中が花道になった。本当のラストラン、4位で迎えた3回目。ホワイトは2つ目のトリック「キャブダブルコーク1440」で転倒して立ち上がると、おもむろにヘルメットを脱いで掲げた。皆がたたえる拍手を送る中で、ゆっくりと滑り降りてきた。笑顔の目に、熱い物がこみあげた。

「さよならを言うためにここにこられたことを誇りに思う。本当にチャレンジングだったね、これでいいんだよ!」

18年平昌五輪で3個目の金メダルを手にし、競技を離れた。21年3月に3年ぶりに復帰し、5度目の舞台を狙った。昨年12月に新型コロナウイルスに感染し、1月のW杯では足首を痛めた逆境をはねかえし、最後の舞台を迎えていた。

スノーボードにはショーン以前と以後がある。長野五輪で採用されたが、国際オリンピック委員会(IOC)の収益目的は如実。若者人気にあやかろうと、強引にスキー競技の1種目としたやり方に反発し、ボイコットする選手が続出した。独自の文化を築いてきたからこそ、相いれない部分があった。

変えたのがホワイトだった。10代で世界のトップだった06年トリノ大会の出場を明言。反発もありながら、金メダル獲得で経済的な成功もつかんだ。競技レベルも一気に上がり、トップ選手が参戦する流れを作った。年収10億円、雪上最大のアイコンとなった。

スケートボードで夏季五輪を目指したこともある。18年末にはお忍びで練習していた平野歩とばったり。ツーショットをSNSに載せる天然ぶりで、平野歩の挑戦がばれたこともある。2人の絆は太い。「想像以上だよね。競技のレベルをもっと上げていってほしい」と託せば、平野歩は「結果どうこうじゃないというのが、うっすらとつながっている部分なのかな」と敬う。

90年代前半の全米オープンでは、試合前に1人の小学生が会場を沸かせていた。小柄な体に大きく見えるヘルメットをかぶり、器用に滑り降りる姿。6歳で競技を始めたホワイトだった。約30年後のこの日、ヘルメットを脱いだ姿に最高の称賛が降り注いだ。

「スノーボードよ、ありがとう。人生の“愛”だった」。

さらば、冬季五輪のスーパースター。【阿部健吾】

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◆ショーン・ホワイト 1986年9月3日、米カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。6歳からスノーボードを始める。スケートボードの腕前も一流。Xゲームで夏冬両大会でメダルを獲得した史上初の選手でもある。五輪ハーフパイプでは06年トリノ、10年バンクーバーで金メダルを獲得。14年ソチは4位に終わったが、18年平昌で3個目の金メダルを獲得した。

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