昨夏の東京五輪の空手男子組手75キロ級で銅メダルを獲得したウクライナのスタニスラフ・ホルナが、母国の軍に入隊した。7日の共同通信の記事に「ほかに選択肢はない」と語っていた。ロシアの理不尽な無差別攻撃を黙って見ていられなかったのだろう。半年前の平和の祭典を「最も幸せな瞬間」と振り返ったコメントを読んで、泣けてきた。

ロシアの侵攻が始まって2週間。ウクライナでは現役のトップアスリートたちが、次々と志願して母国の軍に入隊している。プロボクシング元統一世界ライト級王者のワシル・ロマチェンコは、6月に計画されていた世界タイトルマッチを放棄して、防衛軍への入隊を決めた。ライフル銃を担いだSNSの写真に固い決意が伝わってくる。

大多数の国民が他国へ避難する中、彼らはあえて危険な戦地に赴く。国を代表して試合をしてきたトップアスリートたちは、人一倍愛国心が強く、自らの肉体にも自信があるのかもしれない。その勇気には敬意を表するし、気持ちも理解できるが、一方で何ともやり切れない気分になる。本来、彼らの才能や価値はスポーツだからこそ強い光を放ち、人々に希望や勇気を与えることができる。別の選択肢はなかったか。

戦時下における著名なアスリートの入隊は、戦意高揚にも利用される。第2次世界大戦へと向かう中、36年ベルリン五輪の陸上短距離代表の鈴木聞多が、2年後に陸軍に志願入隊すると「快速隊長」と大々的に報じられた。広島市立大の曽根幹子名誉教授の調査によると、26歳の若さで戦死した鈴木を含めて、この戦争で38人のオリンピアンが命を落としたという。

北京パラリンピックでウクライナ勢が開幕6日間で19個のメダルを量産している。「メダルは戦争で苦しんだ人々の命に比べれば何の意味もない」。女子スキー距離(視覚障害)などで2つの金メダルを獲得したオクサナ・シシコワのコメントには苦悩だけがにじむ。それでも選手たちの奮闘は世界中で報じられ、母国の小さな希望の光になっているはずだ。アスリートにとって「前線」は、戦地だけではない。

大会に出場しているウクライナ選手20人は閉幕後、直接帰国せずに、トルコ経由で隣国ポーランドに移動する。その後の予定はまだ決まっていない。戦況がさらに悪化すれば、ホルナのように軍への入隊を志願する者が出てくるかもしれないが、選択肢はほかにもあるはずだ。彼らの力が本当に必要になるのは、ウクライナに平和が戻り、スポーツが再開されたときなのだから。【首藤正徳】