北京パラリンピックで日本勢は金4、銀1、銅2の計7個のメダルを獲得した。そのうち6個はアルペンスキーの村岡桃佳(25)と森井大輝(41=ともにトヨタ自動車)の2人で手にしたものだ。特に村岡は2大会連続の全5種目表彰台は逃したものの、金メダルの数は前回平昌大会の1個から一気に3個に増えた。

この結果は彼女自身の肉体的、技術的な進歩の証明であるとともに、所属するトヨタ自動車と二人三脚で取り組んできたチェアスキー開発の成果でもある。「一緒に合宿をして、選手の要望を細かく聞いてフィードバックを繰り返した。その解決に車の開発技術も取り入れた」と、同社の榎本朋仁プロジェクトリーダーは明かす。

新車開発に使うコンピューター解析技術なども活用。フレームの一部をアルミからカーボンに変えて、ターンの時の剛性が2倍になったことで、より深いターンができるようになった。衝撃を吸収するサスペンションは極寒でも滑らかに動くよう改良。さらに同社の風洞実験の施設で、空気抵抗を前回大会から9%削減に成功した。開発には約50人のエンジニアが携わったという。

チェアスキーの進化は、パラアルペンスキーを時速20キロ程度で滑っていた障がい者の競技から、100キロ超のスピードを競うスポーツに変えた。「80年代前半はコントロールが難しく、スピードも出せませんでしたが、リフトに乗れる機能を備えたことで多様なコースでの滑走が可能になり、98年長野パラの頃にはサスペンションが使えるようになって劇的な進化を遂げました」(長野大会金メダリストの大日方邦子さん)。

時代とともにチェアスキーが改良され、選手は高速化に対応できる技術や体力を身に付けてきた。村岡は19年から車いす陸上に挑戦して、昨夏の東京パラで100メートル6位入賞を果たした。最新科学を結集した高速チェアスキーを自在に操れたのは、2年間で筋力と体幹を徹底強化したからだろう。スポーツの競技力や記録は、人間の能力の成長と、用具の進歩が融合することで、限界点を引き上げてきた。北京大会の村岡がそれを象徴している。【首藤正徳】