16年リオデジャネイロ五輪をステップに、20年東京五輪の金メダルへ-。新日本プロレスが、アマレス重量級選手の育成に取り組んでいる。将来のプロレスラー養成との一石二鳥をもくろみ、12年にブシロードクラブを設立。永田裕志監督(47)の指導のもと、所属するフリー97キロ級の山口剛(26)は日本重量級のエースに成長した。同クラブをつくったブシロード木谷高明社長(55)と永田監督に、新日本の野望を聞いた。

<報奨金も設定「レスリング界に貢献できれば」>

 ブシロードクラブは、12年1月に新日本を買収し会長に就任した木谷氏が、わずか半年後の同年7月に立ち上げた。当時、団体は経営悪化でいつつぶれてもおかしくない状況。それでも、将来を見据えて五輪出場を目指すアスリートの育成と、アマチュアで実績あるアスリートのプロレス入りという2つのビジョンをもってアマレスのクラブを設立した。

 「人材のスカウトが一番大きい。プロレスラーになる気がない人はノーサンキュー。本当は体操でも水泳でもよかったんですが、OBも多く、お世話になっているレスリング業界にくっついていくべきかなと」と木谷氏は言う。アマレス出身のベテラン永田を監督兼スカウト部長に起用し、山口を獲得。さらに、自らもう1人の部員岡倫之(24)をスカウトした。

<スカウトで選手獲得>

 学生当時の山口は体重が84~85キロで、同階級で2番手か3番手の選手だった。永田は「最初会ったときに骨格がよかったので、この選手をうちに取ってみようと思った」と話す。永田の指導で階級を97キロに上げると、全日本選手権で優勝、世界選手権で8位という結果を残した。今年は海外で3大会連続銅メダルを獲得するなど、重量級ながら五輪でメダルが目指せるところまできている。

 日本のレスリングは、軽量級が強化の主な対象だった。重量級の選手は大学を卒業しても競技を続けられる環境が整わなかった。それが、今回ブシロードクラブの誕生で重量級にも光が差し込んだ。ブシロードの社員として生活基盤を得た山口は、会社の援助による海外武者修行で着実に力をつけた。

 ブシロードではスポーツを支える有名企業並みに、国内大会優勝100万円、世界選手権優勝1000万円、五輪金メダル2000万円などの報奨金も設定し、選手のやる気を引き出している。「ブシロードの社名をつけて五輪に出てくれればうれしいし、それでレスリング界に貢献できれば」と木谷氏は話す。

<引退選手の受け皿に>

 新日本では91年に闘魂クラブというアマレス選手養成部門を創設。中西学や永田の弟で00年シドニー五輪に出場した永田克彦らを輩出した。当時は道場でともに練習したが、木谷氏は「選手に余計な負担をかけたくなかった」とあえて新日本の中に置かず、ブシロード社の中につくったという。

 ブシロードクラブの誕生は、アマレスのグレコ82キロ級で世界選手権に出場しながら五輪出場は逃した永田にとっても願ってもないチャンスだった。「自分は五輪に出られなくてプロになったが、プロの中でも五輪をずっと意識していた。五輪の舞台に重量級の選手を立たせたいという自分の夢をかなえることができる。やりがいのある仕事です」と言う。練習を直接指導することはないが、コンディショニングや精神面をアドバイスしている。

 現在は永田1人だが、今後はブシロードクラブが新日本を引退した選手の受け皿にもなる。木谷氏は「引退した選手のセカンドライフも必要になりますから」と言う。

 設立当初は決まっていなかった20年東京五輪という目標もできた。岡は将来的に新日本入りが既定路線だが、山口はリオ五輪に出場し、さらに東京五輪も狙える。「山口君は、リオ後にプロレスを2年やって、そこから東京を目指してもいい。岡君が新日本に入ったら、あと2~3人入れたい。東京ではジュニア(軽量級)の選手を入れてもいいかな」と木谷氏の野望は膨らむ。その前に、まずリオ五輪でクラブの実績をつくりたい。「山口君が出場を決めたら、永田さんには行ってもらう。もちろんボクも応援に行きます」と、木谷氏は早くもリオが待ち切れない様子だ。【桝田朗】

 ◆木谷高明(きだに・たかあき)1960年(昭35)6月6日生まれ。石川県金沢市出身。星稜高-武蔵大経済学部。94年に山一証券を退社し、ベンチャー企業のブロッコリーを創設。07年にカードゲームなどを手がけるブシロードを設立した。12年1月に新日本プロレスの全株式をユークスから5億円で取得し、取締役会長に就任。経営が悪化していた新日本を立て直し、13年9月に会長を辞任。現在は転勤によりシンガポール在住。元プロレスラーで衆議院議員の馳浩は星稜高の1年後輩にあたる。

 ◆永田裕志(ながた・ゆうじ)1968年(昭43)4月24日生まれ。千葉県東金市出身。日体大レスリング部で92年に全日本選手権優勝後、新日本プロレス入り。同年9月の天山戦でデビュー。IWGPヘビー級王座10回という歴代2位の防衛記録を持つ。総合格闘技戦ではヒョードル、クロコップと対戦。14年には新日本所属として初となるノアのGHCヘビー級王座獲得。G1クライマックスは01年に優勝し、今年で最多の17回連続出場。得意技はナガタロック。敬礼ポーズが代名詞。183センチ、108キロ。

(2015年7月8日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。