全国の小学生投票により選ばれた、2020年東京五輪・パラリンピック大会マスコットの作者、イラストレーター谷口亮さん(43)を徹底解剖するため、地元博多に飛んだ。競技会場がなく“無風”だった九州に突如、五輪風を吹かせ地元は沸いた。20代中頃、イラストを1枚150円で路上販売した道、友人と飲み明かした公園…。錦を飾るに至ったルーツを探るため、ゆかりの地を谷口さんとともに歩いた。【三須一紀】


 ◆谷口亮(たにぐち・りょう)1974年(昭49)9月5日、福岡市生まれ。イラストレーターの父富(ゆたか)さん(71)の影響で、小さい頃から絵をかくのが趣味。中村学園三陽高卒業後に米国留学し、カリフォルニア州の短大カブリロ・カレッジで美術を学ぶ。99年に帰国し、フリーのイラストレーターとして福岡を拠点に活動。これまで教育系出版社ベネッセで、「チャレンジタッチ」のナビゲートキャラ「ニャッチ」などを描いた。夢はオリジナルキャラクターのアニメ化、グッズ化。家族は妻(37)と長女(8)、長男(5)。


■(1)路上販売

 米国から帰国した99年、谷口さんは天神の岩田屋(現福岡パルコ)前の歩道で、イラストを描いた手作りのポストカードを1枚150円で売っていた。文房具店で厚紙を買って、「コピックマーカー」で絵を描いた。他にも100円ショップで材料を調達し、手製のキーホルダー、バッジ、シールも作って売った。

 渡辺通沿いの歩道には当初、4、5人の絵描きらが同じように作品を販売。そのうち最大30人ほどが並ぶインディーズアーティストの中心地となり、雑誌「九州ウォーカー」にも取り上げられた。

 福岡三越の裏にある警固(けご)公園ではさまざまなアーティストが集まり月1度、アートイベントを開いていた。かつてあった噴水広場はなくなっていた。

 今も福岡市に住んでいるが、わざわざ思い出の地に立ち寄ることはない。「見る景色があまり変わってなくて、懐かしい」と回顧した。

 路上販売した渡辺通に当時のごとく座ってみる。パルコの壁を背に寄りかかるとわずか3メートルほど先に見えるのは天神地下街への出入り口階段。「作品だけで自分の名前が世間に分かってもらえるイラストレーターになりたい」と野望を持ち、その階段ばかりを見つめていた頃を思い出す。視線の先に19年後、東京五輪マスコット作者の未来が用意されているとは、想像だにしなかった。


■(2)酒

 夢を語るのにお酒はつきものだ。当時、アートイベントを開いた警固公園では飲まず、わざわざ渡辺通を隔てた天神中央公園に場所を移した。20代中頃、フリーのイラストレーター。自慢じゃないが金はない。缶ビールに缶チューハイをビニール袋にぶら下げ、三々五々「芸術で飯を食いたい」と志す若者が、集まってきた。

 「お金がない人も集まれるのが公園の良いところ」。夕方から、遅いときは深夜1、2時まで、飲んだ。寒くなればわずか500円で入れるクラブに入り、踊った。中には定期的に仕事がもらえている仲間がいて、仕事がない者にとっては良い求職情報交換の場にもなっていた。

 06年頃から徐々に固定の仕事が入るようになった。パズル雑誌、書道教室のお手本帳の表紙などでオリジナルイラストを描いた。専門学校の講師も務めた。

 お酒は今も好きだ。地下鉄天神駅と赤坂駅の中間にある「立喰そば酒場すじ一」。生ビール、ハイボールが290円、芋焼酎のなみなみロックが280円、ポテトサラダ150円、刺し身各種280円と挙げたらキリがない激安居酒屋。先輩イラストレーターでもある父富さんとよく飲みに来る。

 観光客やビジネスマンの接待に使われる中洲にはめったに行かない。「うまくても安くないと」。五輪マスコットデザイナーとなっても、変わらない谷口さんがいた。


■(3)博多人形

 昨年6月から、博多人形作りを始めた。趣味レベルではなく、ガチンコ。博多人形師である田中勇気先生(29)の教室に毎週通い、習い始めて2年がたたないと応募できない新人賞を本気で狙っている。

 博多人形とは国指定の伝統工芸品で、福岡県産の土や天然顔料を使ったもので、約400年の歴史がある。田中氏は18歳の頃にこの世界に入り、その道のプロだ。谷口さんはフィギュア作りをしていた経験もあったため、上達は早かったが、センスも先生お墨付きだ。五輪マスコットに選ばれた関係で最近、通えておらず「早くやりたい」と人形作りに飢えていた。

 田中氏も弟子の“大出世”に驚いた。急に地元テレビ局から電話があった。「谷口さん、そちらの教室に通ってますよね?」。五輪関連と聞き「軽いイラストでも描いたのかな」と思ったが、NHKニュースを見ると大々的に報道されていて「とんでもないことになった」と目を見開いた。

 マスコットはいずれ、さまざまなグッズ化が予定されている。谷口さんは良いアイデアが浮かんだ。博多人形と同じ材質で作り、縁起物とされる「博多はじき」にマスコットを描くもの。地元の郷土品が、五輪グッズとコラボすれば、全世界に知名度が広がるのも夢ではない。


■(4)喜ぶ地元

 五輪風がなかった福岡が谷口さんの快挙を本気で喜んだ。取材で天神の街を歩いていると、頻繁に市民から「おめでとう」と祝福された。トレードマークのどてらを着て、丸刈り・ひげ姿は目立った。握手や写真撮影を求められ、笑顔で応じた。

 地元新聞社、テレビ局の取材は分刻み。天神と中洲を結ぶ「福博であい橋」では、取材日程に入っていなかったテレビ局記者に偶然会い「ぜひ生放送に出演してください」とラブコールを受け、快諾。地元は大いに喜んでいる。

 男性会社員(41)は「競技会場も向こう、復興五輪は東北と、東京五輪は遠い存在だった。だから福岡では21年の世界水泳が主な話題だった。谷口さんのおかげで、東京五輪を見つめ直すことができ、身近な存在になった」と感激していた。

 博多人形教室にいた主婦の福田直子さんは「テレビで見て『あっ福岡の方や』と思っていたら今日、ここにいらして同じ教室に通ってると今知った。驚きしかない」と固まっていた。


■(5)誕生秘話

 アトリエは福岡市城南区の自宅にある。昨年2月、フェイスブックに偶然表示された五輪マスコットの一般公募のニュース。おもむろに、ラフ画をノートに描いた。「エンブレムと関連づけた方が良いのでは」と市松模様を取り入れようと即決。その格子柄が和風テイストになると考えた。ラフ画では侍、武者のようなイメージで、頭には聖火をモチーフにした赤黄色のちょんまげが付いていた。

 5月、いよいよ応募要項が発表され、閉じていたノートを再び開いた。修正を開始。「ちょんまげはいらんな。くどい」とカット。「なるべくシンプルに」「市松模様を前面に出せばいける」と言い聞かせた。さらに「五輪の方はスピード感を出したい」と当初なかった耳のようなデザインを付け加えた。キャラクター設定で特技は「瞬間移動」となっている。

 五輪版は市松模様で「日本文化」を表す一方、パラリンピック版は「日本の自然」を表現するため、世界にも知れ渡る桜をモチーフにした。「超能力」も持つ設定にしたきっかけはドイツ人の義足走り幅跳び選手、マルクス・レームだった。「妻とテレビで見ていて内に秘めた思いや力をものすごく感じた」。

 応募には五輪・パラそれぞれ2つの競技ポーズを描く必要があり、五輪はバスケットボールとアーチェリー、パラはゴールボールとパラサイクルを描いた。「人間とマスコットの比率はどうしても違う。自転車などの道具を使った絵も見せないと、勝てないと思った」と綿密に戦略を練って見事、トップに立った。


■(6)ライバル

 2042件から3案に絞られア、イ、ウ案が公表されて小学生による投票が行われた。イ案の矢野花奈さん(25)、ウ案の秋本早苗さん(50)には感謝しかない。

 発表会場となった東京都品川区の小学校。1時間前に集合し、初めて互いを知った。和気あいあいと会話し、和やかなムードだったが、心の中では緊張もあった。発表の10分前、ア案が選ばれたことが事務局から伝えられると、率直に「あ~、良かった。生活がなんとかなる」と心の中で思った。矢野さん、秋本さんは「おめでとうございます」と言ってくれた。

 3案が発表されてから、自然とそれぞれの良さを分析していた。イについては「漫画の雰囲気があって、かっこいい感性があった。高学年に人気があると思った」。ウについては「かわいさが際だっていて普段、僕が描く絵はウ寄りだなと感じた。テレビでは20、30代の女性に人気があったので、小学生の女子が選びそうだと思った」と振り返った。


 ◆五輪マスコット選考過程 昨年8月、2042作品の応募があり、3作品に絞った後、同12月7日に公表。全国約28万学級ある小学校の児童が、1学級単位で投票。一般市民が投票し、決めるのは五輪史上初の試み。今年2月28日に結果発表を行い、ア案10万9041票、イ案6万1423票、ウ案3万5291票だった。