日本競泳界では、17年9月の川崎駿(24=JFE京浜)から古賀淳也(33=スウィンSS)、藤森太将(29=木下グループ)、藤森丈晴(27=ミキハウス)兄弟の4人がドーピング検査陽性となった。全員が資格停止期間を終えて、東京オリンピック(五輪)代表選考を兼ねた4月の日本選手権(東京アクアティクスセンター)に向かう。ドーピング違反から、再起を目指す4人の道のりを紹介する。【取材・構成=益田一弘】

日本競泳界ドーピング検査陽性例
日本競泳界ドーピング検査陽性例

■藤森太将(29)藤森丈晴(27)

一緒に写真に納まる藤森兄弟の兄太将(左)と弟丈晴
一緒に写真に納まる藤森兄弟の兄太将(左)と弟丈晴

1本の電話ですべてが変わった。18年12月。藤森太将は、午後9時に父の善弘コーチから電話を受けた。「今、連絡があって。ドーピング検査陽性だぞ」。

「えっ」

太将は、短水路世界選手権に代表男子主将として出場。遠征先の中国・蘇州で受けた検査が陽性だった。「最初に連絡来た時、衝撃だった」。覚えはなかったが、資格停止期間は2年。処分が明ける20年12月には東京五輪は終わっている。

何かの間違いだと思って、摂取していたサプリメント5、6種類を検査した。現地で知人からもらった差し入れも検査した。禁止物質の摂取が故意でないことを証明することで期間短縮を求めた。だが禁止物質は検出されない。「いろいろ調べていく中で、もうどうしようもない状態で…」。最後は大会公式ホテルの食事を疑った。たらふく食べたサケと梅のおにぎり。現物は残っておらず、もう検査に出せない。期間短縮を求めてスポーツ仲裁裁判所に提訴したが、退けられた。

「もう、やめよう」

高校時代を過ごした静岡県の関係者に「ドーピングで陽性になりました」と報告した。第2の故郷にいる恩師たちは「21年に世界選手権(福岡)があるから、また戻ってくるのを待っているね」。その言葉が、ぼんやりと頭の中に残った。

父、弟と一緒に練習できない。たった1人で週1回は1回700円を払って自宅近くの横浜国際プールに入った。24時間営業のフィットネスジムに入会して週6回、体を痛めつけるように筋トレした。「ひまだった。ただ何となく体を鍛えていた」。そのうちにさらに衝撃的なことが起こった。

19年7月、弟の丈晴がドーピング検査陽性。兄弟同時で資格停止となった。

丈晴は見知らぬ番号からの電話がきっかけだった。「JADA(日本アンチドーピング委員会)の者です」と言われ、最初は「兄貴のことで僕に質問があるのかな」。「5月30日の400メートル個人メドレー後の検体から…」と言われて「え、いや、ちょっと待って」と絶句。上の空で説明を聞いて「もう1度、名前だけ教えてもらっていいですか?」と聞くと「藤森丈晴選手です」。すぐ父に電話すると「たぶんイタズラだ。ありえないだろ! その番号にかけなおせ」と言われた。だが、かけ直しても出るのはやはりJADAだった。

兄の違反があって、口に入れるものには注意していた。試合中でもドリンクから目を離さず、泳ぐ時はマネジャーに抱えてもらった。「誰かにはめられた、と疑った」。丈晴の資格停止は原則4年で東京五輪どころではない。「もう水泳をやめて次にいこう」。第2の人生を考え始めていた。

兄との会話で救われた。横浜市内の実家で兄弟は子どものころから20畳の部屋を分け合って使う。兄が隣のベッドに座って言った。「(自分の)2年と4年は違う。諦めずに最後まで口に入れたものの検査したほうがいいんじゃないか」。

弟は同4月3日の検査をパス。それから5月30日の検査陽性まで1日ずつの食事や行動を記した。最後に調べたサプリメントが汚染製品=成分表に記載がない禁止物質が混入したものだった。摂取が故意でないことが認められ、停止期間は19年11月までの4カ月に短縮された。

16年リオデジャネイロ五輪で兄の太将は200メートル個人メドレー4位。メダルまで0秒16差だった。東京五輪は兄弟同時出場が目標だった。くしくも、五輪延期によって、夢が復活した。

16年4月、リオ五輪出場を決めた藤森太将(右)はコーチの父善弘さんと喜び合う
16年4月、リオ五輪出場を決めた藤森太将(右)はコーチの父善弘さんと喜び合う

今年1月10日、兄は2年1カ月ぶりの復帰レースを静岡で泳いだ。会場には父、弟の姿もあった。レース後に3人で「よかった」と言い合った。「2年間の空白から再スタート。感動だった」と父。日本選手権は個人メドレーで、兄が200メートル、弟が400メートルで代表を狙う。同種目は瀬戸大也がすでに代表に内定。残り1枠を萩野公介らと争う。

兄弟にとってリオ後の時間は予想もつかないものだった。兄は言う。「起きたことは悪かった。でも今思えば、悪くなかった。いろんな人に支えられて競技をやっているとあらためて思う。今までもそう言っていたけど、感謝という言葉の重みが全然変わった。1人でも多くの人が応援してくれるように結果を残していくしかない。それしかできない」。そして代表選考会に向かう。「父も含めて3人で、家族で夢を追い掛けられる。幸せですよね」。

16年8月、リオ五輪競泳男子200メートル個人メドレー決勝を終え、笑顔を見せる4位藤森太将(左)と2位萩野公介
16年8月、リオ五輪競泳男子200メートル個人メドレー決勝を終え、笑顔を見せる4位藤森太将(左)と2位萩野公介

◆藤森太将(ふじもり・ひろまさ)1991年(平3)8月7日、神奈川県生まれ。静岡・飛龍高-日体大-ミキハウス-木下グループ。16年リオデジャネイロ五輪200メートル個人メドレーで4位。同種目の自己ベストはリオ五輪決勝の1分57秒21。176センチ、72キロ。

19年4月、競泳日本選手権の男子400メートル個人メドレーで3位に入った藤森丈晴(右)。左は優勝した瀬戸大也
19年4月、競泳日本選手権の男子400メートル個人メドレーで3位に入った藤森丈晴(右)。左は優勝した瀬戸大也

◆藤森丈晴(ふじもり・たけはる)1994年(平6)2月17日、神奈川県生まれ。静岡・飛龍高-日体大-ミキハウス。14年パンパシフィック選手権で日本代表。19、20年日本選手権400メートル個人メドレー3位。同種目の自己ベストは4分10秒90。167センチ、62キロ。

■古賀淳也(33)

本紙インタビューで心境を語る競泳の古賀淳也(撮影・たえ見朱実)
本紙インタビューで心境を語る競泳の古賀淳也(撮影・たえ見朱実)

18年夏、古賀はスイス・ローザンヌにあるビルの会議室にいた。18年5月にドーピング陽性で4年の資格停止。その原因がサプリメントの汚染製品=成分表に記載のない禁止物質混入という検査結果を携えて、国際水連本部のヒアリングに出席した。弁護士2人、通訳1人を伴って、3人の聴取役に故意の摂取でないことを訴えた。公聴会は午前10時から6時間も続いた。

潔白を証明することが支えだった。陽性判定を受けて2週間は失意に沈んだ。耐えがたいつらさに「部屋のベランダをぴょんと飛び越えると終わるんじゃないか。常に『死』が隣にあった」。09年世界選手権金メダル、リオ五輪代表。体ひとつで世界と渡り合った誇りを否定された気がした。「こいつは不正をやった、黒なんだ、と疑惑の目で見られることがショックだった」。競技を続けるかどうかは二の次。まず意図的な違反でないこと=潔白を証明することだけを考えた。

スイスでの6時間では認められなかったが、諦めなかった。国際スポーツ仲裁裁判所に提訴。さらに1年をかけて19年8月、停止期間は4年から2年に短縮された。その間はほぼ泳がなかった。20年5月の処分明けを待って練習再開した。

過去60回以上の検査を受けてきた。その中の1度、しかも汚染製品による違反ですべてが変わった。所属契約も終了となって「本当の意味でフリー、ニートだった」。現在の目標は延期で可能性が復活した東京五輪、22年世界選手権。だが他にもやりたいことがある。「現役選手として、アンチドーピングについて、水泳教室などで話をしたい。陽性になって何が大変か、経験から話せることがある」。次代のスイマーたちを守りたい、と考えている。

◆古賀淳也(こが・じゅんや)1987年(昭62)7月19日、埼玉県出身。春日部共栄高-早大-第一三共-スウィンSS。09年世界選手権100メートル背泳ぎ金メダル。16年リオ五輪代表。17年世界選手権50メートル背泳ぎ銀、同日本記録24秒24を持つ。181センチ、80キロ。

■川崎駿(24)

18年5月、資格停止が明け、「水泳がまたできてよかったです」と話した川崎駿
18年5月、資格停止が明け、「水泳がまたできてよかったです」と話した川崎駿

川崎は日本競泳界初のドーピング違反者だ。17年9月に陽性判定を受けた。成分表に記載のない禁止物質が混入したサプリメントが原因で資格停止は7カ月だった。当時は明大4年で就職の内定も取り消された。高校総体で優勝経験があるが「もう水泳できないかな」。家に引きこもった。

悩んだ末に大学OBによる駿台クラブで泳ぎ始めた。留年して2度目の4年生になった。18年5月の復帰レースは「最初なのですごく周囲の視線を感じた…」。得意の50メートル自由形で、予選全体の44位と惨敗した。

その2カ月後、コーチの紹介で、地元千葉に水泳部の本拠地を置くJFE京浜の就職面接を受けた。「大きな問題がなければ採用する方向」と言われていた。陽性判定は「大きな問題」ではないのだろうか、と心は揺れた。面接で「仕事を熱心にすることは前提として、自分の時間をうまく使って結果を残したいです」と伝えた。同社社長から「そういうこと(陽性)は気にしないから、また水泳を頑張ってください」と言われて採用。「正直、競技は続けられないと思った。うれしかった」と振り返る。

現在は社会人スイマー2年目。神奈川県内の倉庫で午前8時から午後5時まで事務仕事。水泳は午後6時から1~2時間練習する。「今は仕事に水泳に目まぐるしい。自分で考えながら、水泳に時間を使うことで充実しています。(陽性は)だいぶ昔のことのように感じます」。日本選手権は、まず50メートル自由形での決勝進出が目標。「そこからどこまでトップ選手と戦えるか」。

◆川崎駿(かわさき・しゅん)1996年(平8)2月19日、千葉県生まれ。市船橋高-明大-JFE京浜。本命種目は50メートル自由形。高3の時に高校総体で23秒08を出して優勝。19年社会人選手権は22秒57で2位。同種目の自己ベストは22秒39。180センチ、77キロ。

■選手側に説明責任

日本の美点はドーピングにクリーンであることだが、その半面で違反者に対する目は厳しい。他競技を見てもドーピング違反者がトップに返り咲いた例はほぼない。所属契約の解除など競技を続ける環境でなくなるケースが多い。また違反が故意ではないことを証明する責任は選手側にある。サプリメントなどの検査には多額の費用がかかり、金銭面で諦める場合もある。ドーピング違反は「罪」で資格停止は「罰」だ。本来、罰を終えた選手は自由なはずだが、ドーピング違反=キャリアの終わりという暗黙の了解が確かにある。

米国では女子平泳ぎのジェシカ・ハーディが08年北京五輪の国内選考会で陽性となって五輪を断念。1年の資格停止を受けた。09年に復帰し、12年ロンドン五輪では400メートルメドレーリレー金、400メートルリレーで銅を獲得した。また陸上でもジャスティン・ガトリン(39)やタイソン・ゲイ(38)がドーピング違反から、カムバックしている。

◆東京五輪の代表選考 4月の日本選手権決勝で日本水連が定めた派遣標準記録を切って2位以内に入った選手が内定する。男子個人メドレー2種目は瀬戸大也が19年世界選手権金メダル=代表内定。200メートル、400メートルともに残り1枠。