あの人は今、何をしている? 全日本テコンドー協会は19年秋、強化方針などを巡り混乱が巻き起こった。当時、会長を務めていたのが金原昇さん(66)。責任を取る形で辞任をしたが、令和の時代に珍しいパンチパーマ姿などドスのきいた風貌にも注目が集まった。その全日本テコンドー協会の前会長である金原さんに、今の生活、テコンドーの魅力、騒動時の心境などを語ってもらった。【取材・構成=上田悠太】

自身の道場にあるバッグを打つ金原昇さん(撮影・上田悠太)
自身の道場にあるバッグを打つ金原昇さん(撮影・上田悠太)

長野・松本駅前で待ち合わせをした金原さんは、ガラケーを手に、にこやかな笑みで迎えてくれた。「よろしくお願いします」。そこから左ハンドルのドイツ製高級車で約1分。自身が持つ道場を案内してくれた。

「(道場が入る)このビルもうちのですよ」

実は、金原さんは不動産業を営んでいる。「(年商は)うん億円あるよ」。松本駅周辺の一等地も含め、飲食店が入るビルやマンションを「20棟ぐらい」所有している。高級クラブなど飲食店も経営する。社長は家族に譲っているが、株式会社センチュリーマキシムの取締役だ。「テナントの方の援助というか、支援金を渡したり、家賃を少し猶予したりもしましたよ」と言う。ちなみに自宅も小さな城のように豪邸だった。

仕事の合間にはテコンドーの指導をしている。道場では主に長男貴将さんが指導をしているが、金原さんも週1度ほど、そこに顔を出す。全日本テコンドー協会が保管場所に困っていたことから引き取ることになったという、19年の世界大会「千葉グランプリ」で使用されたマットが敷かれた道場には、幼稚園児から30歳を過ぎた人まで通う。トップ選手を指導するのとは、違った喜びも感じている。

「子どもを教えるのは楽しいですよ。負けて泣く子もいるじゃないですか。勝敗で見るんじゃなくて『あの蹴りすごかったね』とか褒めてあげる。じゃあ練習しようと。子どもは自尊心も大切。その時の会話は教育になるんじゃないかな」

テコンドーは競技人口が少ない。普及に対する強い問題意識を持っている。

「人口を増やすためには、指導員を増やさないといけない。それが一番大事」

もともと中学では野球部だった。高校も野球を続けながら、「(柔道部員より)俺の方が強かったから」と柔道部とも兼部していたという。卒業後は5年ほど上京。松本に帰ってきた後、働きながら、空手や柔道に励んだ。空手を習う中で、テコンドー関係者と知り合い、いつしか競技性が類似するテコンドーも道場などで教えるようになった。90年代に長野テコンドー協会の理事に。今もテコンドーの発展を第一に考えている。こう熱く語る。

「多彩な蹴り技、そして空中戦は他の格闘技にはない魅力がありますよね。今は未来に向けて、テコンドーをもっともっと普及しないといけない。そのために携わっている人は自分が強くなるだけでなく、いい人格になってもらわないと」

ちなみにパンチパーマは、「20歳を過ぎた」くらいからずっと。行きつけの場所で巻いてもらう。若い時はアフロやリーゼントだった頃もあるという。

その独特の迫力からか、世間からは“悪役”のイメージも強い。過去には銃弾で撃たれたことも明かしていた。協会の騒動時には「反社会勢力」と疑いの目を向けられたが、むしろ「暴力団追放運動」を積極的に続けてきたという。当時は多額の「みかじめ料」など不当な扱いを受ける店が多く、その対策などを行う組合の副会長をやっていた。そんな背景もあり、標的となったという。約30年前の記憶も鮮明にある。

「車に乗った時に、窓の外から撃たれた。ヒットマンは3人。まずいと。至近距離で腕と腹部に当たった。けど奇跡的に骨とか血管とか急所は外れた。本当に奇跡的だよね。分厚いゴムをバチンやられる痛み。後ろから付けられてないことを確認して、自分で運転して病院にも行きましたよ。撃たれて、血も出てたんだけど、結構、病院では待たされたんだよ(笑い)」

プレゼントされた似顔絵を手に、笑顔の金原昇さん(撮影・上田悠太)
プレゼントされた似顔絵を手に、笑顔の金原昇さん(撮影・上田悠太)

そんな金原さんだが、一般的には知られていないであろう貢献も大きい。04年アテネ・オリンピック(五輪)を前に、国内の組織は内紛によって、全日本テコンドー協会と日本テコンドー連合に分裂していた。JOCは五輪の参加条件として、団体の統合を求めていた。アテネ五輪は統括団体が決まらず、シドニー五輪銅メダルだった岡本依子は個人資格で参加していた。結局、2つの組織は全日本テコンドー協会にまとまり、07年にはJOCに正式加盟した。ともに協会の会長を務めていた衛藤征士郎氏、明石散人氏の尽力に加え、事態を収拾し、統合を主導したのが金原前会長だった。「なんだかんだ、いろいろ貢献したんだけど」と笑う。もちろん設立当初は資金がまったく足りない。「ある会社のAさん」と匿名の寄付だと周囲には説明していたが、本当は年間「2000万円ほど」自腹を切っていた時期もあったという。

マイナーであるテコンドーが発展するためにも、東京五輪で代表選手が活躍することを強く願っている。

「コロナで1年延びて、多くのプレッシャーと不安を感じているかと思いますが、それは世界中の選手も同じですから、まずは余計なことを考えず、自分を信じて進んで欲しいと思います。その中にチャンスを見いだし、メダルを目指して欲しいです。あとは自己管理と練習あるのみ」

最後に当時の騒動を聞いてみた。もともとの混乱の始まりは選手と協会の「強化方針」を巡る対立だったが、徐々に金原さんのパーソナリティーに話題が集まっていった。

「協会の中の政治的な話を持ち出して、あいつが悪い、こいつが悪いとかなって、最後は俺が悪くなって(笑い)。問題点が私に向いた。反社じゃないかとか、テコンドーのドンだから会長の一声でみんな変えちゃうとかさ。そんなことできるわけがないじゃん。どうせ矢面に立つなら、一番やりたかったのは公開討論会だよね。選手、担当者とか、コンプライアンス委員長とかみんなでさ」。

どんどん騒動は大きくなり、最後は辞任という形になった。「辞めるか辞めないかは、どっちでもよかったんですよ。いろんなトラブルばかり。10年間大変だったからね。個人的にはいろんな感情はあるけどさ。でも楽しかったよ」。会長の重い荷が下りて気軽になった思いと、不完全な感情とが入り交じっていた。

<19年騒動の流れ>(肩書は当時)

◆6月 自腹参加の強化合宿、参加を辞退した場合「強化選手から外します」と指摘されるなどの状況に、強化指定選手が「選手一同」として改善を求める意見書を協会宛に提出。

◆8月28日 意見書への回答が出ない状態での理事会で、強化本部長に小池隆仁氏が再任。

◆9月22日 選手側が小池氏の再任に反発。強化合宿が始まるも、28人中26人がボイコットする形で、協会への対決姿勢を示す。

◆10月1日 協会とチーム関係者が議論し、紛糾。

◆10月8日 理事会で小池氏を含む代表コーチ3人が退任。高橋アスリート委員長、岡本副会長が混乱を招いた金原会長の責任を問題視し、理事の総辞職を求めるも審議されず。

◆10月10日 ダイテックス社がスポンサーを撤退。

◆10月23日 ソケッツ社もスポンサー契約を解除。

◆10月25日 高橋氏が理事の辞表を提出。

◆10月28日 金原会長含む理事の総辞職が決まり、検証委員会が新理事候補を選定することが決まる。

◆12月26日 元国際卓球連盟副会長などを務めた木村興治氏が新会長就任。