<1988年ソウル五輪男子バレーボール代表 熊田康則(51)>

 東京五輪、女子は楽しみですね。金メダル取らなければダメ。今の中高生には有望な選手もいるし、タイミングもいい。男子は、うーん、厳しいですね。開催国として出場しても、勝つのは難しいと思うんです。

 パワー不足ですね。身長は追いついても、パワーがない。あんな細い腕じゃ、無理でしょ。まずパワー、そして海外に出ること。石川祐希(中大)が欧州に行くけど、いいことですよ。サッカーだって、選手が海外に出るようになって強くなったじゃないですか。

 男子については、我々も無責任なんです。僕らの上には(72年ミュンヘン五輪金の)松平(康隆)さん一派がいたから、みんな日本協会や全日本から離れていった。僕らが頑張らないといけないんですけどね。

 バレーボールをする男の子が減ったのが、寂しいですね。僕や(川合)俊一や(井上)謙が現役だったころに、プロリーグができていれば。当時のバレー人気は、サッカー以上でしたからね。松平さんには構想があったけど、Jに先を越された。プロ化していれば、違ったと思うんですが。

 僕自身は、五輪にいい思い出がないですね。10位だったし、焼き肉食ってたら終わっていた感じ。雰囲気にのまれて、集中できなかった。ただ、バレーボールでは五輪が一番上。参加できたのは、誇りです。ソウルの後も、ビーチバレーで出場を狙いましたからね。

 33歳で引退する時は、いろいろ誘われました。テレビ局とか、プロレスとか。長州力さんは好きだったけれど、痛いのは嫌なんで断りましたけど(笑い)。早くに結婚して家族もいたから、富士フイルムで安定した会社員を続けました。

 3年前に会社を辞め、今は神奈川・大和市で居酒屋(熊の隠れ家)のおやじ。小学生女子チーム「SAMURAI―LEGEND」の指導もしています。息子(隆一氏)は八王子実践中バレー部監督、娘(美愛さん)はビーチバレーで五輪を狙っています。バレーからは離れられないですね。(2014年11月05日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。