騎手時代から、五輪とは縁があったんです。03年の中山グランドジャンプで、僕をG1ジョッキーにしてくれたビッグテースト。彼に最初の障害飛越を教えたのが、実はオリンピック選手(00年シドニー五輪代表の広田龍馬)だったんです。特訓を終えて栗東トレセンに帰ってきたビッグテーストに乗って、飛越のうまさに驚きました。障害2戦目で初勝利を挙げ、すぐG1を意識したのがいい思い出です。

 僕は04年8月に落馬して、意識不明の状態が1カ月続きました。それでも意識が戻れば、騎手として復帰することで頭がいっぱい。まだ箸すら持てない頃も、ムチならクルクルと回すことができました。落馬後初めて馬にまたがったときには、体が勝手に馬上体操を始めていました。当時はまだ入院中で、乗馬クラブにも車いすに乗って行ったくらいだったのに…。馬が大好きなんだな、とあらためて気づきました。

 高次脳機能障害の診断を受け、結果的に騎手復帰はかないませんでした(07年2月に引退)。やっぱりショックでしたね。その後は一般の方に交じって乗馬検定を取っていたのですが、その中で障がい者馬術のことを知りました。うれしかったですね。本格的に大会に出始めたのは4年前。20年の東京五輪開催が決まると、すぐ母に「これ行く!」と。新しい、大きな夢ができました。

 障がい者馬術は障害の程度によって、グレード1~5に分類されます。僕はこれまでグレード3(やや重度)だったのが、昨年秋からグレード4(やや軽度)に。馬場が広くなり、覚えることも多くなりました。今は記憶障害ともつきあいながら、新たな目標である東京五輪に向けて奮闘中。もし出場の夢がかなったら、いい成績が出せそうな気がします。騎手時代も、なぜか東京(競馬場)では成績が良かったので(笑い)。

(2017年9月6日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。