五輪でまず思い浮かぶのは、84年のロス五輪です。野球が公開競技で行われ、明大4年で同期の広沢(克実氏)が米国との決勝戦で3ランをかっ飛ばした。実は、米国代表とは対戦してたんです。五輪前に日米大学野球選手権が米国で行われ、私もプレーしました。その米国代表が、そのまま五輪代表になりました。マーク・マグワイアやウィル・クラークがいて強かったですね。7試合で1勝しかできませんでした。

五輪代表お披露目の意味もあり、米国内をいろいろ回りました。ジャイアンツの本拠地キャンドルスティック・パークで第1戦を戦った翌日、同じ球場でメジャーのオールスターがあった。そのセレモニーに我々も呼ばれました。日米大学代表に台湾代表、地元チームも加わり、グラウンドで五輪マークをつくりました。印象深い思い出です。大学代表のうち7人が、社会人との混合で日本代表になった。だから金メダルはうれしかったですし、自分も選ばれたかったな、という思いもありましたね。

日の丸を背負った誇りは生き続けています。鼻にかけるのではなく、責任ある行動を取るという意味です。大学代表の監督、コーチもやらせていただきましたが、選手にも「日の丸に対する責任感」を強く言わせてもらいました。日ごろの行動に出ますし、どんな試合展開でも全力を尽くすことにつながるはずです。

東京五輪では、競技を超えた人のつながり、絆が広がることを期待します。代表監督として15、17年のユニバーシアードを経験しましたが、選手村の雰囲気は独特でした。背の高い人、私みたいにずんぐりした人。何の競技かな、と見ているだけで面白かった。おみやげのピンバッジを交換したり。五輪は、もっとすごいでしょうね。

大学代表で一緒に戦った選手は気になります。ヤス(DeNA山崎康晃)は亜大では先発でしたが、気持ちの強さを買い、抑えをやってもらいました。五輪でも日本の抑えになってくれたらうれしいですね。暢仁(明大4年・森下)も、どろーんとしたカーブが国際大会に通用すると思いますが、来年はプロ1年目。さすがに代表は厳しいでしょうか。タイミングがねえ。

最後に我々の立場からの勝手な意見ですが、アマチュアにも五輪のチャンスがあればいいなと思います。日本で一番強いチームを目指したら、最終的にプロになるのでしょうけど、アマにもチャンスは欲しいですね。野球の底辺拡大につながると思います。(269人目)