今月、障がい者スキーの指導者講習会で札幌市を訪れました。大都市なのにスキー場へは市内から車で20分ほど。子供連れの家族も多く、久しぶりに混雑したゲレンデを見ました。スキーが市民生活の中にある感じです。アジアでもこれほど施設、環境の整った大都市はありません。海外の観光客も大勢滑っていました。ぜひここをスノースポーツの普及発展の拠点にしてほしいと思いました。

札幌市も30年の冬季五輪・パラリンピック招致を目標にしています。障がい者スキーの振興にも熱心で、選手育成の環境整備から、指導者や障がい者をサポートする人たちの養成も含めた普及に取り組んでいます。3月にはパラノルディックスキーW杯も開催します。今回の講習会も市主催。会場に「ご協力下さい」というアナウンスがくり返し流れ、市民も障がい者スキーを身近に感じたと思います。

そこで98年長野パラリンピック当時、金メダル獲得を支えてくれた日本選手団のスタッフだった男性と、実に20年ぶりに再会しました。彼はこの講習会の講師でした。長野大会後、地元の札幌市に戻り、青果店を営みながら障がい者スキーの指導を続けていたそうです。ここにも長野のレガシーが残っていた。そう思うと感慨深かったですね。

お子さんが通っていた小学校の車いすの子供に、バイスキー(初心者用チェアスキー)を体験させたことがきっかけで、以来、活動を地道に続け、少しずつ輪を広げて、今では一緒に活動する仲間も増えたそうです。バイスキーは以前寄付で購入した1台に加えて、近年、札幌市が7台を購入してくれたことで、指導者の講習もできるようになったようです。

長野の火を消すことなく、たとえ小さくても地道にともし続けてくれたことに私は感動しました。彼のような人たちこそスポーツの価値を本当の意味で理解している人なのだと思います。種火が残っていれば、小さな労力でも大きくすることができます。長野大会の熱が残した火が、20年東京大会開催を控えて再燃し始め、さらに勢いを増して30年大会招致への機運につながる。札幌のスキー場でそんな流れが見えた気がしました。

◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長で、平昌パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。46歳。