“弾丸娘”と呼ばれた川端絵美さんを覚えていますか? 80~90年代にアルペンスキー女子で五輪3大会に出場した名選手です。現在は地元の札幌市在住で、解説者で活躍する一方、障害者スキーの普及にも尽力されています。昨年、彼女に誘われて北海道で子供たちと一緒に滑るイベントに参加してきました。

05、06年頃、彼女はパラアルペンスキーのゲストコーチとして代表合宿に指導にきてくれました。現役だった私にはライン取りなどのアドバイスがとても参考になりました。以来、関係が続いています。五輪とパラは選手同士の接点はなかなかありません。でも1度関わると「同じスキーヤーだよね」と、一気に距離が縮まります。

アルペンスキー男子で五輪4大会連続出場の皆川賢太郎さんとは、お互い現役時代の欧州合宿で顔を合わせて意気投合しました。全日本スキー連盟の理事でもあった障害者スキー日本代表監督が「健常者の選手の滑りも見た方がいい」と接点を設けてくれたのです。現在、皆川さんは全日本スキー連盟の競技本部長で、私は日本障害者スキー連盟の強化本部長。「また連携しよう」と話しています。

冬季競技の五輪とパラの壁は、他の競技に比べて低いと感じています。その理由は98年長野大会にあると思っています。あの頃、私は練習の一環で野沢温泉での草レースに出場させてもらっていました。当時、日本はスキーブーム。大勢の人がチェアスキーで滑る私を見ていました。その後、長野大会で金メダルを獲得すると「理屈は同じ。一緒に滑ろう」と健常者からも声を掛けられるようになったのです。

20年東京大会が決定して以来、陸上や水泳でも五輪とパラの選手が一緒に練習したと聞きました。それは短い時間かもしれません。でも接点を持てた人たちとの交流は、引退後も生き続けるはずです。むしろ現役時代以上に強化や普及活動を通じて、協力関係が深まったりもします。それもまた五輪とパラリンピックを日本で同時開催することの1つのレガシーだと思っています。

◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長で、平昌パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。46歳。