義足のジャンパー、マルクス・レーム(31=ドイツ)が、世界記録でパラリンピックを盛り上げた。

東京パラリンピック開幕まで1年となった25日、レームは東京・渋谷区の織田フィールドでイベントに参加。走り幅跳びで非公認ながら8メートル50を跳び、大会ムードを盛り上げた。日刊スポーツのインタビューでは、日本記録を出したばかりの城山正太郎(24)との対戦も熱望。オリンピック(五輪)との垣根を取り払うことを究極の目標に「パラの顔」は来年の東京でV3を目指す。

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ファンの手拍子を受けてレームの体が大きく宙を舞った。自身の持つ世界記録8メートル48を上回る8メートル50の大ジャンプ。走路に大型送風機を設置した非公認世界記録だが「少しの風と多くの声援で力が出せた。来年の東京大会も多くの人が見に来てほしい」と話した。

会場となった織田フィールドは、実はパラリンピック「発祥の地」。初めて公式に「パラリンピック」という大会名が使われた64年東京大会では開閉会式を含むメイン会場になった。そこでの「世界新」に「歴史的な競技場で記録が出せてうれしい。次は来年、新しい競技場(新国立)で公認記録を」と笑った。

レームは「来年の東京大会では3連覇を目指す。記録も出したい。でも、自分のゴールは五輪の選手とパラの選手を近づけること」と話す。14年のドイツ選手権で健常者を抑えて優勝、16年リオデジャネイロ五輪出場を熱望したが、国際陸連から「義足が有利に働いていないことの証明」を求められて断念した。東京五輪出場はあきらめていないが「簡単ではない」と言い「義足が有利でないことの証明よりも、やるべきことがある」と話した。

17日に城山が日本記録を27年ぶりに更新し、8メートル40を跳んだ。「映像を見たけれど、素晴らしかった。一緒に競技会に出たいし、ファンも喜ぶはず」と競技会での対戦を望んだ。「東京の次は考えられない。21年の神戸(パラ世界陸上)は出たいけど」と東京大会が最後のパラリンピックになることも示唆。パラ競技のために、東京大会のために「ブレード・ジャンパー」レームは跳び続ける。【荻島弘一】

◆マルクス・レーム 1988年8月22日、ドイツ・ジョッピンゲン生まれ。03年にウェイクボード練習中の事故で右ひざ下を切断。08年から本格的に走り幅跳びを始め、12年ロンドン大会、16年リオデジャネイロ大会でパラリンピック連覇。自己ベストは自身の持つ世界記録8メートル48。

◆織田フィールド 正式名称は代々木公園陸上競技場。64年東京五輪選手村内の競技場として整備され、直後の11月8日開幕の東京パラリンピックでは開閉会式を含むメイン会場として使われた。愛称の「織田」は織田幹雄から。日本陸連第3種公認競技場で、ナイター施設、更衣室、シャワーなどを併設。使用は無料(貸し切りは除く)でアクセスもよく「市民ランナーの聖地」として知られる。