私のパラリンピックイヤーのスタートは長野県菅平高原のスキー場でした。1月3~5日に行われた障がい者スキー・スノーボード体験会の講師として、初めてチェアスキーに乗る初心者たちと一緒に、有意義な時間を過ごしてきました。実際に雪上を滑ったのは1日半でしたが、最終的に全員がリフトに乗って降りてくる大滑走ができました。

チェアスキーの操作は簡単にはできません。雪面と接するのはスキー板1枚なのでバランスを取るのが非常に難しく、全身の筋肉を使います。それでも参加者たちは短期間で少しずつコツをつかんでいきました。もちろん斜面は緩やかでしたが、何よりもサポートスタッフの力が大きかったと思っています。

今回は1人を3人でサポートしました。チェアスキーを後方から支える健常者、声をかけながら先導するチェアスキーヤー、そして安全確保のため周囲に注意を配るスタッフ。リフトに乗る時も1対1でした。後方から支える方法をロープに切り替えたりして段階を踏むと、すぐに転んでいた初心者が、最後は滑れるようになったのです。

参加者に子どもが2人いました。1人で滑り降りてきた時の笑顔が、本当に輝いていました。難しいと感じていたことを無我夢中でやって「あっ、できた」というはじけるような笑顔。自分にもこんな時代があったんだと昔を思い出しました。そして、楽しい、できなかったことができるようになる、それがスポーツの原点なんだと思いました。

自分だって多くのサポートスタッフに支えられていたんだ。それを思い出せたこともよかった。パラリンピックでメダルを目指すようになると、自分と向き合う時間が増えて、周囲のサポートが見えなくなりがちです。高い壁に精神的にも追い込まれて、スポーツ本来の楽しさも忘れてしまいます。そんな時、こんな原点に立ち返る経験をするのがいいかもしれません。

現役を離れて9年たちます。今回、あらためて支える立場になってよかったと実感しました。先輩たちに助けてもらいながらスキーを覚えた、あの頃の先輩たちの役割を今、一回りして自分がしている。スキーを続けてきたことの価値を、自分の中で確認することができました。メダルばかりに注目が集まる20年の正月に、こんな体験ができたことに、何か意味があるような気がします。

◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長で、平昌(ピョンチャン)パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。47歳。