バドミントン女子シングルス代表の大堀彩(27=トナミ運輸)は、父・均さん(56)と二人三脚でパリオリンピック(五輪)の道を開いた。
21年にはA代表からB代表への降格を経験し、一時は引退も頭によぎったが、そこから復活を遂げた。均さんは福島・富岡高時代に監督として、17年からはトナミ運輸のコーチとして、その努力の日々を見守ってきた。
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「辞めたい」。均さんが彩からそう伝えられたのは、21年春のことだった。前年12月の全日本総合選手権で2回戦敗退となり、世界ランク19位ながらB代表降格となったのだ。
均さんは、娘の思いを正面から受け止めた。異例の降格によって、誰よりもつらい思いをしているのはよく分かった。だからこそ「苦しかったら、辞めてもいいよ」と寄り添った。ただ、こうも付け加えた。
「辞めた後に『もうちょっと頑張ればよかった』と思わない終わり方をしなさい」
その言葉に対する返事はきちんと聞いていないが、直後の表情から思いは伝わってきた。「ずいぶんと怖い顔になったんです。鬼気迫るような顔で練習するようになりました」。復帰すると、それまで以上に真剣にバドミントンと向き合う姿があった。
富岡高で教えていた頃は人一倍厳しく指導にあたり、トナミ運輸で一緒に歩み始めてからも微妙な距離感があった。ただ、ここ最近は「一方通行ではなくなった」と関係性の変化を実感する。
その象徴が4カ月ぶりの国際大会制覇となった6月のオーストラリア・オープン。「ショートサーブを使ったほうがいい」と助言すると、「分かった」とうなずきながらも、実行しなかった場面があった。試合後に「なぜ使わなかったのか?」と尋ねると、「使おうと思ったけど、相手のポジションを見た上で使わなかった」と根拠に基づいた答えが返ってきた。「正しい判断だな」と素直に感心した。
「こちらの問いかけに対して倍くらい答えが返ってくる。何か言うのではなく、答えに対して同意したり、肉付けしたりするようにしています」
今は彩主体のコミュニケーションに努めている。
遠征先で2人で食事へ出かけるようになったことも変化の1つ。大抵は彩が食べたいものを決める。
「(昔は)僕から壁をつくっていたのかもしれません。今は本当に楽しくやらせていただいています」
2人を隔てていた“壁”は、もうない。【藤塚大輔】
◆大堀均(おおほり・ひとし) 1968年(昭43)7月6日、栃木・日光市生まれ。今市高、日体大を経てトナミ運輸で活躍。06年に富岡高監督となり、14年全国高校総体で史上初の男女同時優勝。男子シングルスで元世界ランク1位の桃田賢斗らを育成。17年からトナミ運輸でコーチを務め、現在はヘッドコーチ。



