【パリ=阿部健吾】初出場の岡慎之助(20=徳洲会)が金メダルを獲得した。86・832点で中国勢を抑え、日本勢が4連覇(12、16年内村航平、21年橋本大輝)を達成した。2位の張博恒とはわずか0・223点差だった。連覇を目指した橋本84・598点で6位。2種目目のあん馬で落下し、上位争いに加われなかった。

岡は1種目目床運動から安定した美しい演技を並べた。5種目目の平行棒では15・100点の高得点で首位に立った。最終種目の鉄棒で14・500点で先に演技を終え、張の演技を待った。張がハイレベルな技を繰り出し、勝負はどちらに転ぶかわからない状況となった。緊迫した中で出たスコアは14・633点。岡が僅差で栄冠を手にした。ガッツポーズが飛び出した。

保育園で鉄棒の逆上がりができた。周囲に勧められ、体操を始めたのは4歳。中学まで所属した地元の「おかやまジュニア」で才能を開花させていった。高1の19年春に、高校生では異例の実業団入りをした。岡山から神奈川に居を移し、徳洲会へ。その直後、15歳、139センチの丸刈り姿でジュニアの世界王者となり、「ニッポンの宝」と称された。

だが、パリへの次世代を担う期待がかかった22年の全日本選手権で、右ひざ前十字靱帯(じんたい)を断裂。「きついトレーニングでした」。リハビリでギプスで固めた足であん馬に上がり、ひたすらに旋回を続けた。「パリに行く」。その気持ちだけはブレなかった。

名前の由来はプロ野球・巨人ファンの父・泰正さんが阿部慎之助のような「スーパースターになってくれ」という思いでつけた。あだ名は「慎之助」「慎ちゃん」で、パリ五輪代表の最年少をとしてもかわいがられ、「慎ちゃん」と呼びかけられる場面が多かった。

体の線が映える倒立、手足の先まで伸びる美しい体操は日本の宝の真骨頂。星槎国際高時代のクラスメートでフィギュアスケートの鍵山優真が22年北京五輪で銀メダルを獲得した姿に「置いていかれた」と奮起してから2年。自らも五輪の舞台で、輝くメダルを首にかけた。

体操ニッポンの新たなバンディエラ(旗手)。五輪史上6人目の日本人の個人総合王者が誕生した。