【パリ=木下淳】元世界ランキング1位の永山竜樹(28=SBC湘南美容クリニック)が、意地の銅メダルを獲得した。準々決勝で敗退した後、敗者復活戦で台湾選手を退け迎えた3位決定戦。イルディス(トルコ)に一本勝ちし、最低限のメダルだけは死守した。

メダルを獲得した永山は神妙な面持ちで「手ぶらで帰るわけにはいかなかった」とプライドをにじませた。

準々決勝で、ぼうぜんとした。昨年の世界王者ガリゴス(29=スペイン)と対戦。寝技を耐え、しっかりと足を絡めて防いでいたが、絞め技へ移行された。ただ、審判が「待て」の合図。試合が止まったかに見えたが、その後も相手から約5秒間、締められた。

一方の永山は「待て」を信じ、力を抜いていた。最後、あおむけになったところを「落ちた(失神)」と判断された。

信じられない永山は、両手を広げ、相手の握手も拒んで猛抗議。本人は「誤審」と疑わなかった。スペインの応援団や欧州の観客からブーイングを浴びたが、畳を降りたら終わり。約5分間、居残って映像確認を求めたが、状況は動かず。礼をして退いた。その際に「待てって聞こえた」と漏らしている。

準々決勝4カードが終わった後、日本の鈴木桂治監督も抗議したが、覆ることはなかった。銅メダルへ、台湾選手との敗者復活戦に回って制し、最後の3位決定戦でも底力は見せた。

五輪は初の出場だった。初戦の2回戦から、いきなりゴールデンスコア方式の延長戦に突入する熱戦。ブラジル選手を相手に規定の4分間で決着つかず。相手の対策に苦しめられたが、主導権は譲ることなく計7分37秒、指導3による反則勝ちを収めて準々決勝へ。

パリ五輪代表の男女14選手で唯一、志願して出場した5月の世界選手権でまさかの初戦敗退を喫した反省を生かしていたが、次で敗れた。

今回の代表は、尊敬し背中を追い続けてきた先輩から勝ち取った。前回21年東京五輪金メダルの高藤直寿(パーク24)。昨年のグランドスラム(GS)東京大会の決勝で一本勝ちし、パリ切符をつかんだ。

東海大の3年先輩、東京オリンピック覇者、高藤を一本背負い投げで沈めた。 「やっとここまで来られた。高藤先輩に勝って代表にならないと意味がない、と思っていたので」

思い返せば、東京五輪の代表も高藤と争い、GS大阪で完敗。夢破れた。以降は国内ですら、勝てなくなった。全日本選抜体重別で初戦敗退も喫した。

「このまま終わっちゃうのかな」「いや何か変えなければ」

苦悩の末に23年4月から2カ月弱、父修さんの勧めもあって自費でフランスへ武者修行に出た。

「柔道というより人間として成長したくて」。昨年の世界選手権を制した高藤がパリ路でもリードしていたが、永山は、ひとり異国で「ほぼほぼ諦めかけていた」気持ちが上向いた。現地の柔道教室で、大国の子供たちから、あらためて「1本を取りに行く」攻めの柔道を思い出させてもらった。

全日本男子の鈴木桂治監督からも「次、負けたら終わり」と突きつけられていた。背水の状態で、今回の五輪の開催国フランスで、切り替わった。帰国後の8月にマスターズ大会で優勝するなど国際大会2連勝で猛追。高藤との4年ぶりの直接対決を制し、高藤から頭をなでられ「頑張れよ」と託された、パリの畳だった。

国内の代表争いが、そのまま世界一決定戦となる日本の宿命か、東京五輪は世界ランク1位で逃したが、金メダルを取る自信はあった。「日本の誇りを持って自分らしい柔道を」。156センチの体を、夢だった舞台で躍動させるつもりだったが、まさかの判定で、先輩との最軽量級2連覇はかなわなかった。それでも銅メダルだけは…悔やみ切れないが、最低限の表彰台に立つ力は間違いなくあった。