パリ五輪で、戦いの裏側や勝敗を超えた選手の生きざまなどを現地から伝えてきた日刊スポーツ取材班が、心に残る出来事を「取材ノートから~パリ五輪編」と題してつづります。
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パリ五輪で72年ミュンヘン大会以来52年ぶりの金メダルへ挑んだバレーボール男子日本代表は、最終順位7位で大会を終えた。しかし、同じ準々決勝敗退でも、ブラジルに手も足も出ずストレート負けを喫した前回東京大会とは違った。強豪イタリアから2セットを先取。そこから逆転負けを喫したが、計4度のマッチポイントを握って追い込んだ。大舞台で、日本バレーの確かな進化を示した。
それでも、攻守の要を担い続けてきた高橋藍(22=サントリー)の表情には満足感のかけらもなく、誰よりも険しかった。「結果は(東京五輪と)一緒なので。どちらにせよ何かが足りなかった」。あと1点取れば勝てた試合。大会を通してチーム3位の54得点を挙げながらも、勝ちきれなかった、そして届かなかった「1点」を悔やみ続けた。
五輪前、左足首の負傷で約1カ月間実戦を離れた。それが、あの「1点」につながってしまったのかという自責の念があったのかもしれない。歓喜に沸くイタリアの横で聞いた、石川祐希、そしてブラン監督からチームへ宛てた「ごめん」の言葉。チーム全員が本気で金メダル獲得という目標に進めたのは、その2人の存在があったからこそだった。「(2人を)勝たせてあげられなかった。メダルを取らせてあげられなかったのがもう一つの心残り」。こみ上げる責任感、申し訳なさをかみしめて絞り出した。
そして、そんな悔しさをまるで断ちきるように続けた。
「ここ(五輪)で勝つ選手になりたい。この舞台で勝つために、さらに準備を進めていく」
闘志みなぎる目で、4年後をしっかりと見つめていた。
28年ロサンゼルス五輪へ向けての第1歩は、プロ化を目指して新装される国内新リーグ・SVリーグが舞台となる。日体大在学中の21年12月から3季プレーしたイタリア・セリエAからの移籍先に選んだのは、昨季日本クラブ史上初めて世界クラブ選手権で銅メダルに輝いたサントリー。「日本のファンの前でたくさん試合できる機会がある」という新天地で、己の研さんだけでなく、新リーグの“顔”という責も担って戦う。
4年後のコートに、どんなメンバーと立っているかは分からない。それでも、その中心に自分がいる覚悟は出来ている。自身のために、パリで涙をのんだ仲間のために、再び五輪の舞台へ-。逃したメダルを次こそつかむべく、先頭で突っ走る。【竹本穂乃加】



