文田健一郎(28=ミキハウス)が日本勢として40年ぶりのグレコローマンスタイルで金メダリストとなった。決勝で曹利国(中国)を3-1で撃破した。銀メダルだった東京五輪の雪辱を果たし、1984年ロサンゼルス大会の宮原厚次以来となる頂点を極めた。

「最高です。もう最高です。いっぱい長かったなあって。いろんな節目から数えたらキリがない。そんな思いがあって、思い返せないくらいの苦悩と葛藤があって、でも支えてくれたことがあって今があるんだなと。東京五輪の後に『次だね』と言ってくれた方々に『次は笑ってもらってマット降ります』と宣言してきたので。泣かずに笑ってマットを降りました。昨日も(夜間にライトアップされる)エッフェル塔を見ながら、あんな風に輝いて勝ちたいなと思っていたので、本当に良かったです」

「ニャンコレスラー」の異名を持つ男が、その柔軟性を生かした。第1ピリオド(P)で相手バックを取り3点を先取。第2Pに1点を返されたが、そこから巧みなディフェス。グラウンド技術の高さを披露。猫のような体の返しで追加点を与えず、逃げ切りに成功した。

東京五輪決勝後は涙に暮れたが、この日は笑顔ながらに「一番は3年前の決勝のことを思い出します。本当に経験したことのないような苦しい時間があった。それでも楽しい時間もあって、それがトータル的にはうれしいことの方があったので(今日は)勝てたのかなと思います。すべて背負って戦おうと思いました」と喜んだ。

5日の3試合では東京以降に磨いてきた硬い守備に、「投げてナンボ」の信念宿る豪快な投げ技もさく裂した。世界王者シャルシェンベコフ(キルギス)との準決勝では、通常は胴体に手を回してクラッチする得意の反り投げを、相手の片腕だけのクラッチで投げ飛ばす異次元のテクニックも披露。翌日の決勝へと勢いをつけていた。

「やっぱりレスリングが好きだ」。そう思えたのは最愛の人と過ごした退廃の先だった。

21年8月、母国開催の五輪決勝で持ち味の投げ技を封印されて敗れ去った。号泣して奈落に落ちた気分になった。自宅に帰り、その後に結婚することになった有美さんとやけ酒の日々だった。「1週間くらいはダメ人間みたいな生活(笑い)。朝まで飲んで寝て、昼すぎに起きて、足りないお酒を買いに行って、でまた夕方から飲んだりとかして」(有美さん)。それでも気持ちは上を向かない。切り替えもできない。

住居がある関東から2人で旅に出た。行き先は決めない。ひとまず西へと車を走らせた。山口県に大学の同期がいた。そこを何となくの目的地に決め、大阪ではUSJに寄ったり、宿泊も気まま。2人旅行は「体重も気にしないで、食べたいものを食べて」。74・5キロとなった時点で体重計に乗るのはやめた。「この景色いいね」「この近くおいしいご飯屋さんがあるらしいよ」。たわいもない会話が癒やしだった。

同期への報告も終え、2週間が過ぎた頃、博多にいた。朝起きると口にヘルペスができていた。「僕マジで家が好きなんで。本当に楽しかったんですけど、『家に帰りたい!』って」。来た道を13時間で戻った。「やったー! 家だ!」。喜ぶ文田の姿に、有美さんは再生の兆しを感じた。

「もう1回、練習を再開してみようかな」。レスリングが中心の生活が帰ってきた。すぐにパリへ気持ちは向けられなかったが、もうこれ以上ないほど落ちた。そして、上がるしかなかった。「奥さんだから言えたことですし、できたこと。いなかったら多分もしかしたら目指してなかったなと思います」。寄り添ってくれたことに何よりの感謝を伝える。

23年には長女遙月ちゃんを授かった。フランスで「世界一のパパ」になりたい。初めての海外に駆けつけた愛娘の前で、「負けている姿は見せたくない」と誓っていた。「金メダルを取って家族でぎゅーっとしたい」。その願いを成就させた。