平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)の開会式を見た。開幕前から南北融和の押しつけにへきえきしていたためか、いつものように心から感動できなかった。南北合同チームの真冬のカーニバルのような行進も、平和の祭典のお題目にまんまとつけ込んだ国家元首の悦に入った顔が脳裏にちらつき、何だか偽りの平和のようにも見えてしまい、気持ちがめいった。

 五輪が提唱する平和や融和という甘美な言葉は、世界中の権力者にとっても実に都合のいい甘い蜜なのだということを、平昌はむき出しのまま突きつけているようだ。この難題の答えを誤ると、平和の祭典はその力を失いかねない。金妍児さんが点火した聖火が、五輪の終わりの始まりを告げる灯でないことを、私は祈った。

 26年前の2月、私はアルベールビルの開会式会場にいた。東西冷戦が終結し、ソ連が崩壊して初めて迎えた五輪だった。分断された旧ソ連の国々が一団となって五輪旗を掲げて入場し、ベルリンの壁が取り払われたドイツも東西統一チームで行進した。世界の雪解けを象徴するような平和な光景は、白銀を解かすほどまぶしかった。

 あれから四半世紀。あの祝福と希望に満ちた純な気持ちで、平昌の開会式を見ることはできなかった。年齢を重ねただけではない。みるみる膨れあがった五輪は、膨大な開催経費、ドーピング、政治介入などさまざまな問題を抱え込み、ずいぶんと姿を変えた。そこに何となく危うさも感じるようになったからだ。

 先月、日本外国特派員協会で会見した元国連事務次長の明石康氏の言葉を思い出した。98年の長野五輪期間、国連の要請を受けた米軍が、イラクへの空爆を見合わせた例を引き合いに出してこう言った。「オリンピックに失望はしても、絶望していはいけない」。平昌の開会式を見終わった今、私はその言葉をかみしめている。【首藤正徳】

 ◆首藤正徳(しゅとう・まさのり)五輪は92年アルベールビル冬季大会、96年アトランタ夏季大会を現地取材。08年北京、12年ロンドン大会は統括デスク。現在は2020年東京五輪・パラリンピック準備委員。

開会式で、「統一旗」を掲げ行進する韓国と北朝鮮の選手(撮影・PNP)
開会式で、「統一旗」を掲げ行進する韓国と北朝鮮の選手(撮影・PNP)