ショートプログラム(SP)で首位の羽生結弦(23=ANA)が、フリーで206・17点をマークし、合計317・85点で14年ソチ五輪に続き、金メダルを獲得した。

<羽生の恩師 都築章一郎氏(80)手記>

 ユヅに感謝を伝えたい。元コーチとしては、世界一になり、フィギュアスケートの魅力を世界に伝えてくれていることがうれしい。2つのオーバーターンがあったが、後は言うことなし。ここまで苦しんでやってきて、それなりの状態には戻したが体は万全ではなかっただろう。それでも、集中して演技をやってくれた。感無量です。

 私が指導していた小学生の頃は飽き性だったんです。集中力が5分。自分が気に食わないと長く氷にいられない。そういう点ではコーチの方が努力しました。仙台の同じリンクで、本田とか荒川とか一緒に練習していました。そういうスケーターが五輪チャンピオンになった、世界チャンピオンになった、そういう環境の中で育ったのが大きかったと思います。

 あの子は、50%が技術、あとは気力でここまで勝ってきたように思います。小さい時に、後にジャンプを多く跳ぶようになることを見据えて、体を鍛えました。でも、今はあれだけジャンプを跳ぶ中で、体が耐えられるか。ジャンプはイメージをつくってあげればすぐに跳べた。それは今でも一緒だと思います。

 未知の世界を切り開くための努力を彼は惜しまない。彼がこれまで成し遂げてきたことは、スポーツの領域を超えている。もうちょっとスケートを続けてくれると思うが、その後はコーチなどではなく、誰にもできないスポーツ界にとどまらない役割を果たしてほしいと思っています。

 ◆城田憲子ANA監督の話 NHK杯のあのけがは普通のけがじゃなかった。お正月が明けた時にやっと立ち直って滑りを見てた時に、これならいける、と思った。それから彼はかなり苦労した。不屈の精神力、周りのサポート、それがみんな1つとなったから、この日を迎えられた。家族の支え、特にお母さんが結弦くんを毎日ケアしたことが、一番大きかったと思う。