五輪初出場の期待の若手、小林陵侑(21=土屋ホーム)が日本勢最高の7位に入った。1回目に108メートルで9位と好位置につけ、2回目も108メートルを飛び、順位を上げた。今季、W杯初勝利を挙げてブレークした兄潤志郎(雪印メグミルク)の陰に隠れてきたが、所属先の監督も務める葛西紀明(45)の下、大舞台で素質を開花させた。
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小林陵が風のめまぐるしく変わるジャンプ台を攻略した。1回目。不安定な風で1度ゲートから外れ待たされたが、影響はない。カンテ(飛び出し口)でしっかり力を伝えるとグンと伸びてヒルサイズにあと1メートルに迫る108メートルで着地。感情を表に出さない男が、両手の人さし指を掲げ喜びを表現した。2回目は1回目31位の兄潤志郎に「敵を取ってくる」と約束し、108メートルと安定した飛躍を見せ、2日がかりの試合で初出場ながら入賞を引き寄せた。「トップ10に入るのも厳しい中、食い込めた。大きな1歩」と胸を張った。
目の色が変わった。昨季、W杯にフル参戦したが、1度もポイント(上位30人)を獲得できなかった。苦しいシーズンを過ごしたが、逆に屈辱を目覚めのきっかけにした。今までは与えられた練習メニューをこなすだけだったが、今季は夏からチームの綿谷美佐子トレーナー(48)に自ら体のチェックを申し出、地味なトレーニングでも積極的に取り組むようになった。
もともと「引退したらサーカスにでも出せる」と所属先のヤンネ・コーチが話すほど天才的なバランスセンスの持ち主。それを持て余してきたが、葛西が若い時にこなしたハードなトレーニングをこなすことで初の大舞台で素質を開花させた。
両親から「少し小高いところから目標を見失うことなく取り組むべきことを見られるように」との思いを込め陵侑と名付けられた。標高約800メートルの丘に立つ平昌のジャンプ台で、名前を地でいく健闘を見せ、日本ジャンプ界に新風を吹き込んだ。【松末守司】
◆小林陵侑(こばやし・りょうゆう)1996年(平8)11月8日、岩手県八幡平市生まれ。5歳で兄潤志郎の影響でスキーを始める。松尾中では複合とジャンプを両立し、3年の全国中学で史上2人目の複合、ジャンプの2冠。盛岡中央高3年の国体少年複合で連覇、同ジャンプ2位、雪印メグミルク杯と宮様の少年で優勝した。昨季、世界選手権ラハティ大会(フィンランド)に初出場し、団体7位。W杯最高は7位。173センチ、60キロ。家族は両親と兄姉弟の4きょうだい。