世界記録を持つ日本のエース小平奈緒(31=相沢病院)が1分13秒82で銀メダルを獲得した。期待された14年ソチ五輪で表彰台を逃し、同五輪で23個のメダルを獲得したスケート大国オランダに留学。精神面を鍛え、トップスプリンターへと成長した。金メダルこそ逃したが、24連勝中の500メートル(18日)では世界の頂点を狙う。
懸命に腕を振り、小平は駆け抜けるようにゴールを通過した。金メダルのテルモルス(オランダ)との差は0秒26。天を見上げ、ゆっくり目を閉じた。持てる力は出し切った。負けを認めるまで時間はかからなかった。「ゴールの先まで諦めずに滑り切れた。実力が足りなかった。後悔はない」。日の丸を肩にかけ、笑顔でリンクを回った。
ソチ五輪後、2年間を過ごしたオランダの地が、小平を変えた。指導を受けた長野五輪2冠のマリアンヌ・ティメルさんに指摘されたのは、レースに対する気持ちの弱さだった。謙虚な日本人では通用しない。「あごを上げろ」「相手を殺すつもりでいけ」。練習仲間だった世界女王ブストの動きに目をこらし、視線、癖、練習方法と金メダリストのすべてを吸収した。
異国の地の苦しい生活も成長の糧にした。欲しい食材が手に入らず、病院にも簡単に通えない。言葉を理解していないと思い、「日本人は目が細い」と悪口を耳にしたこともあった。住まいは牛舎を改造した家の屋根裏部屋のような場所。暖房が壊れると、ゴミ箱にためたお湯に足を入れて暖を取った。卵と牛乳が原因の遅発性アレルギーで体調も悪化。心が折れそうになったが、「私が選んだ道」とぐっと耐えた。小さなノートとペンをポケットに入れ、聞いた言葉は3回以内に覚えると決めた。
留学初年度に、参戦9年目にしてW杯初優勝を果たすと、2季目の終盤には、所属チームの練習を先頭で引っ張るまでになった。「心の断捨離ができた」と精神面の土台を固め、16年春に日本に戻った。「周囲の期待と実力がかけ離れていた」と涙で終わったソチ五輪。重圧に負けた弱い姿はもうなかった。
3歳で始めたスケート。岡崎朋美に憧れ、氷の上が最高の遊び場だった。敗れたレース後、車に閉じこもり、表彰式に出るのを嫌がったほどの負けず嫌い。海外で勝てない時期が続いたが、30歳で迎えた昨季、ついに努力が結果として表れた。誰よりも速く滑りたい。変わることのない思いは、五輪のメダルにつながった。18日には16年シーズンから24連勝中の500メートルがある。「今度は、ゴールの先にある景色を楽しみたい」。あと1歩で逃した世界の頂点を見据えた。【奥山将志】