「オリンピックのレースから降りられて、ちょっとホッとしている自分もいる」

オリンピック(五輪)2大会連続出場の中村明彦(30=スズキ)は東京五輪の出場が絶望的となり、こう胸の内を述べた。7833点で2大会連続4度目の優勝。しかし、東京五輪の参加標準記録8350点は遠かった。

最終の1500メートルが終わると、スタンドで応援していた妻紗綾さんと9カ月の長女翠杏(すず)ちゃんの姿が目に飛び込んできた。感情を抑えきれなくなり、うつむいた。さまざまな思いが込み上げてきた。

「オリンピックへ向けて応援をしてもらっていた。そこに届かなかった申し訳なさ。競技を支えてもらっている感謝。そういう思いがいっぱいですね」

東京五輪に出るには事実上、参加標準記録を突破するしか道はなかった。しかし、自己ベストは5年前の8180点。年齢を重ねるとともに「スピード型からオールラウンダー」へと変化。この日も、やり投げは自己ベストだった。ただ、けがとも闘いながらの30歳には、五輪が厳しいのは現実だった。

「オリンピックに絶対出るという気持ちでやってきた反面、無理なんじゃないかと思っている部分もあった」

前は「五輪に出る」ことが、とにかく重要だった。その価値観も少しずつ変わった。

「オリンピックに現実的に届かないんじゃないかという中で、オリンピックに届かなかったら、自分の競技は終わりなのか、自分は終了なのかと思った時、『そうじゃない』と言ってくれる人もいた。オリンピックだけがすべてじゃない。多くの人に自分の記録で夢や希望を与えられるとは思っていないのですけど、自分の近くで応援してくれる人に少しでも届けられたらいい」

厳しい勝負の世界。誰しも五輪に出られるわけではない。その中で、競技をやる意味を探っていた。3年後にはパリもあるが、潔く言った。

「パリ五輪はないと思っている。これから先、オリンピックが全てだという自分でいたら、つぶれてしまいそう。オリンピックだけではない価値を見いださないと、10種を続けられない。まだもうちょっと10種競技をやりたいなと思っています」

初日には100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートル、2日目には110メートル障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートルを競う。その勝者は「キングオブアスリート」と称され、陸上競技の中で、最も過酷とされる。その競技に、引退の時は近づいているとも自覚する中、新たな境地で向き合っていく。

「競技を楽しむということをしてこなかった。今度は苦しみながらではなく、ある意味で気楽に」

12年ロンドン五輪には男子400メートル障害で出場。その後、10種競技に転向し、リオデジャネイロ五輪に出場した。その後の日々は「きつかった」という。

「苦しくない10種を来年からはできるのではないかとワクワクしています」

五輪の“呪縛”から解き放たれていた。少し心が軽くなったようだった。