男子100メートル決勝で多田修平(24=住友電工)が、追い風0・2メートルの条件下で10秒15をマークして優勝した。

2位はデーデー・ブルーノ(21=東海大)、3位は山県亮太(29=セイコー)だった。多田と山県はすでに五輪参加標準記録10秒05を突破しており、3位以内に入ったことで五輪代表に内定した。前日本記録9秒97を持つサニブラウン・ハキーム(22=タンブルウィードTC)は、10秒29で6位だった。

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サニブラウンが敗れた。スタートで隣の4レーンを走る山県から出遅れた、その後も必死に追いすがろうとするも、スピードに乗り切れない。トップでフィニッシュした多田修平らライバルたちに遅れ、6位に終わった。タイムは10秒29だった。

最後までギアは入らなかった。予選は1着通過も10秒29、準決勝は3着でタイムは10秒30。順位ではなく、タイムで拾われる形で、東農大二高3年の柳田にも先着を許すという屈辱だった。2年前の世界選手権以降、この日本選手権までレースに出ていたのは5月31日だけ。そこも参考となる3・6メートルの追い風ながら、タイムは10秒25止まりだった。6月上旬に拠点の米フロリダから帰国し、2週間の隔離を経ての戦いだった。

五輪とは巡り合わせが悪いのか…。5年前。リオデジャネイロ五輪の切符がかかった日本選手権直前の6月18日。高校総体南関東大会男子400メートルリレーに出場した後の練習で左太ももを肉離れした。欠場を余儀なくなれた。その悔しさも糧に、東京・城西高卒業後は突き抜けた存在になるべく、フロリダ大に進学し、その後はプロになった。生まれ育った地元開催の五輪で金メダルを取る青写真を描いていた。どんな時も、目標は「世界一」と言い続けていた。しかし、現実は無情。何とか走れる状態だったが、万全には程遠いコンディション。17年、19年と世界選手権の代表選考だった日本選手権は2冠を達成。ともに圧倒的な強さを示していた事実が、悲運さを色濃くする。

まだ個人種目では200メートルが残っている。100メートルでは代表入りを逃したが、200メートルも参加標準記録は突破済みで、3位以内に入れば代表に決まる。2種目とも代表を逃すわけにはいかない。この悔しさを200メートルにぶつける。

 

◆選考方法 1位の多田、3位の山県はともに参加標準記録(10秒05)を突破済みで、「3位以内」に入ったため2人は代表に決定。2位のデーデーは参加標準記録をクリアできておらず、世界ランキングでの出場資格にも遠く届いていない。そのため日本選手権で「3位以内」には入ったが、100メートル代表にはなれない。残る1枠は参加標準記録を突破した選手の中から、日本選手権の上位順で選ばれるルール。そのため4位の小池が決定的で、1種目最大3人までの条件から、5位の桐生、6位のサニブラウンは落選となる。

男子400メートルリレーについては、日本選手権が選考上「最重要選考競技会」と位置付けられている。100メートルの代表選手に加え、200メートルの代表選手との兼ね合いになるが、デーデーが代表入りする可能性も十分。また「特性と戦略を考慮」して選考するとされており、桐生やサニブラウンの可能性も残っている。