日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長(63)が、東京五輪1年前の22日までにインタビューに応じた。

来夏までコロナ収束をただ待つだけでなく、感染症と折り合いをつけての五輪開催を志向した。また現時点でJOCに存在感がないことを認め、今後はアスリートの意見を集約する考えを示した。会長就任1年でJOCが理想とする姿まで「10点以下」だが、五輪開催に向けて地道に歩む考えだ。【取材・構成=益田一弘、三須一紀】

-東京五輪1年前になった

山下会長 私の個人的な意見だが、1年後にコロナ禍が収束するというのはありえないと感じる。0になることはない。医療体制が崩壊しないように、重傷者、死者が出ないようにしながら、日常生活にどれだけ近づけていけるか。コロナと闘って勝つよりも、折り合いをつける。結婚式、お葬式、イベント、スポーツと制限しながら日常を取り戻していく。その中に五輪があれば、と考えている。

-東京五輪について、厳しい世論の声もある

山下会長 最近の世論調査では大まかに国民の3分の1が再延期、3分の1が中止。今の状況を正しく表していると思う。

-3月に五輪1年延期が決まった際、JOCに存在感がなかった

山下会長 JOCは存在感がないかもしれない。私は組織委の副会長も務めているが、ほとんど力を出し切れていない。ただJOCの存在感を示すよりも、私の中では自分の責任を果たすことが第一。その視点からいうと(19年6月の会長就任は)全く白紙で右も左も前も後ろもわからなかった。そこから1年間経験は積んだ。1年前と見えるものは違うし、自分の覚悟も違う。重いものを背負っていく覚悟はできている。

-組織委、政府、東京都に対し、JOCとしてどう働きかけていくか

山下会長 まず私が(17年にJOCの)選手強化本部長になった時、JOCは組織委、日本スポーツ振興センターがあまりうまくいっていなかった。パラとも連携の話を聞かなかった。「これでいいのか。東京五輪はJOCとかスポーツ界だけのイベントじゃない。JOCがナンボのもんか!」と思った。50年、100年に1度の国家的なプロジェクト。国民の税金、都民の税金、多くのスポンサー、多くのボランティア、多くの支援がある。これはJOC(の存在感)がうんぬんじゃない。役割は違うし、意見がぶつかることもある。だがそれでも「心をひとつにして成功させる」と真っ先にいった。この1年間で各方面との連携はとれている。JOCのためではなくて、国民のために、アスリートのために、人々のために、やるべきだ。

-1月には国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。IOCの中で日本の立場を上げるには

山下会長 一足飛びにできることはない。日本の立場を上げるためには、世界のスポーツ界のために、力になれる存在になること。世界のスポーツ界から信頼されること。NOC(各国オリンピック委員会)IF(国際競技団体)と連携を深める。各NOCの中にはIOC委員がいる。10年、20年後にどうなるか。己のことを一番に考える人間は、ポジションをとって地位が高まっているようにみえても(人は)ついてこない、物事は成せない。信頼を得ることで、結果として、存在感が上がる。即効性が求められるものもあるかもしれないが、大事なことはより多くの人の理解を得ること。いろんな人とよりよい社会、スポーツ界の発展のために、JOCが一緒になって渦を作りたい。

-現時点で、渦の完成度は?

山下会長 10点以下。自分の代だけでできるとは思ってない。大事なのは、次の時代のスポーツ界を担う人をつくることだ。

-コロナ禍で1年後の状況は不透明。不安に思うアスリートもいる。1980年モスクワ五輪ボイコットの経験から思うことは

山下会長 誰もこの先を予測できない。ただ人ができないことを成し遂げる人間はその可能性だけを信じる人間。(1984年ロサンゼルス五輪の)柔道で、私がなぜ足をけがして勝てたか。あの状況で負ける理由をつければ、いくらでもつけられた。(1992年バルセロナ五輪柔道金メダルの)古賀稔彦もだ。スポーツに限らず、何の世界でも可能性だけを見つめる人間がそれを実現できる。そして、五輪にすべてをかけてきたことは、予選で負けても、目標を達成できなくても、その人の人生にとって大きな力になる。

-3月の五輪延期の際に、海外に比べて、日本の選手の声が少なかった

山下会長 日本はいいのか悪いのか、わからないが、アスリートが声を出すとすごく傷つくケースがある。それで尻込みする傾向がある。よく勉強して出した声ならいいが。世界ではいろんなアスリートが発信していた。「今の状況下は日本にいかない」「ウチの選手は出さない」とか。だが私は断言できる。2、3月の時点で、サイレントマジョリティーは、安心安全の中で、20年7月24日から五輪やってほしいと思っていたはずだ。(IOC)バッハ会長が各NOCのアスリート委員会にヒアリングをした時は、そういう言葉を皆が熱く言っていた。

-当時、山下会長は「日本選手のアンケートを行わない」と断言した

山下会長 もしあの時にアンケートをとったら、選手はものすごく期待する。しかし集めた選手の声に対して、私たちができることがなかった。声を集まるだけ集めて何もできなければ、失望を招いてしまう。

-今後、コロナ禍で再び五輪開催が揺れた時に、選手の声をどう届けるのか

山下会長 31日にJOCアスリート委員会の沢野大地委員長と一緒に五輪内定選手、五輪を目指す強化選手とウェブでミーティングを開く。各NF(国内競技団体)のアスリート委員会ともっと連携したい。各競技の声がJOCアスリート委員会を通じて直接聞ける。それをやってよかったとなれば、定期的に行う。それは絶対に作りたい。

-各NFともヒアリングを繰り返している

山下会長 情報共有があって、初めて行動ができる。例えば80%のNFが財政面で困っている。彼らの声を聞いてからなら、自信をもって、国に対しても、どこに対しても、要望していける。JOCに金があればいいが。20年(に五輪が)あると思って、私は強化本部長の時に「あるお金は全部、競技団体に配って。2020年に配っても遅いから前年までの間に配らないと意味ないんだ、お願いします」とバーッとやった…。JOCも来年の収入はメドが立ってない。

-借り入れもあるか?

山下会長 それは当然…。それなしではありえないんじゃないか。借り入れはできる。ただいっぱい借り入れるとあとが非常に大変。これから各方面に窮状を説明して、理解を求める。これまではNFのために動いてきたので。

-時間がかかったとしても、物事を地道に進めるタイプ。座右の銘は「夢への挑戦」だが、今の夢は。

山下会長 1年後(の東京五輪)。IOCとの関係も含めて、私はタフなネゴシエーターとしてがんがん意見をぶつけて、というのは似合わない気がする。なすべきことに集中したい。

◆山下泰裕(やました・やすひろ)1957年(昭32)6月1日、熊本県生まれ。小4から柔道を始めて、84年ロサンゼルス五輪無差別級金メダルを獲得。国民栄誉賞を受賞した。85年に引退して、全日本柔道連盟会長などの要職を歴任。JOCでは13年に理事、17年に選手強化本部長、19年に会長就任。今年1月にはIOC委員に就任した。