第1回は「じゃんけん」で始まった…1面率9割超!よく分かる日刊ドラフト全史(1)

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。

第11回からドラフト特集を7回に渡ってお届けします。1965年(昭40)に始まった新人選択会議(ドラフト会議)を日刊スポーツがどう報じてきたか振り返ります。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

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1965年11月17日、東京・千代田区の日生会館で第1回ドラフト会議が行われた

1965年11月17日、東京・千代田区の日生会館で第1回ドラフト会議が行われた

第1回は1965年

ドラフト会議を日刊スポーツが1面で報じる確率は、実に9割1分3厘である。

ドラフト会議は1965年(昭40)に第1回が開催されてから、今年で59年目を迎える。うち4度は年に2度開催されているので、会議は58年間で62回。このうち翌日の1面で報道しているのは47回、7割5分8厘である。

当日のドラマが起きにくい逆指名制度、自由獲得枠、希望入団枠が存在していた1993年(平5)から2006年(平18)までの13年間16回を除くと、46回のうち42回…実に9割1分3厘の高確率で、トップの1面を使って報じている。

選手にとっては、希望する球団に入れない可能性がある酷な面もある。しかし、そのプロ野球ファンは、甲子園で活躍した選手が、注目の選手が、一体どの球団へ入るのか、そのドラマを含めて応援している。

さて、過去のドラフトを日刊スポーツがどのように報じてきたか。全ドラフトを振り返ってみたい。

◆1965年(昭40)11月18日付紙面

「堀内(甲府商)巨人入り決定的 新人採用・第一回選択会議ひらく」

記事の冒頭に興味深い記述がある。

午前十時。選択会議はウエーバー方式をとる第二次選択の順番決定から始まった。今季、パ・リーグ最下位の近鉄・永江代表、セの産経・友田代表がジャンケン。永江代表がさい先よく奇数番を引き当て、トップとなった。

ドラフト会議の歴史は、ジャンケンで幕を開けたというわけだ。

「第二次」とは要するに2位以下で、下位球団から順番に指名していくウエーバー方式が採られた。どちらのリーグが先に指名するかを決める必要があった。

記事に詳細は書かれていないが、実際にはジャンケンに勝った近鉄・永江代表からくじを引いているのだが、結果的にトップの座を得た近鉄にとっては、値千金のジャンケン勝利だったといえる。

なぜなら第二次のトップで指名したのは鈴木啓示(育英高)。そう、通算317勝を挙げた大投手を獲得できたのだから。

さて、順序は逆になるが、第一次(1位)に話を移そう。選択の方法については、会議当日の同17日付の記事に詳しい。

十二球団の交渉希望選手を記入した名簿(リスト)はすでに十日コミッショナー事務局に提出されてある。リストは三十人以内なら何人でもよく、特にほしい選手を順に一位から十二位までのランクをつけてある。この選手(一位~十二位)は抽選で交渉する球団を決められる。これを第一次選択という。

つまり球団に提出したランク一位の選手が、他球団と重なっていなければ交渉権が確定し、重複していれば抽選となる。くじに外れた場合はランク二位の選手…すでに他球団に指名されていたら三、四位の選手を指名していく。

さて、巨人が堀内恒夫(甲府商)、阪急が長池徳二(法大)など、次々と単独指名で交渉権が確定していった。

指名が重なったのは東映と産経の森安敏明(関西高)、近鉄と広島の田端健二郎(電電九州)だけ。前者は東映、後者が交渉権を得た。

1965年11月18日付1面

1965年11月18日付1面

◆1966年(昭41)9月6日付紙面

「注目の江夏(大阪学院)抽選で阪神」

この年のドラフトは2回開催された。9月5日に国体に出場しない選手、11月17日に国体に出場した選手を対象に行った。翌年からは1回に戻っている。

江夏豊(大阪学院)が注目されていた。記事にはこうある。

注目の江夏投手(大阪学院)は産経を除く十一球団がリストアップしたが、第一位にランクした巨人、阪神、阪急、東映の四球団で抽選した結果、阪神が交渉権を獲得した。

記事には、近年までドラフトの悪しき面として残っていた「裏金」について記載されている。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。