ファン感謝デーはケネディ暗殺の日に始まった? 王さんがサイン求めたゲストは? 

日刊スポーツは1946年(昭21)3月6日に第1号を発刊してから、これまで約2万8000号もの新聞を発行しています。昭和、平成、そして令和と、それぞれの時代を数多くの記事や写真、そして見出しで報じてきました。日刊スポーツプレミアムでは「日刊スポーツ28000号の旅 ~新聞78年分全部読んでみた~」と題し、日刊スポーツが報じてきた名場面を、ベテラン記者の解説とともにリバイバルします。懐かしい時代、できごとを振り返りながら、あらためてスポーツの素晴らしさやスターの魅力を見つけ出していきましょう。今回はプロ野球の恒例行事「ファン感謝デー」。選手の意外な素顔が垣間見えるイベントは、いつから、どのように行われてきたのでしょうか。(内容は当時の報道に基づいています。紙面は東京本社最終版)

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後楽園に4万人を無料で招待

プロ野球界で最初のファン感謝デーはいつか? 明確な資料を発見できなかったが、過去の日刊スポーツを入念に読み返したところ、紙面で大きく取り上げたのは、1963年(昭38)が最初だと思われる。

1963年(昭38)11月24日付紙面

1963年(昭38)11月24日付紙面

この年の巨人は球団創設30年目で、川上哲治監督のもとで2年ぶりのセ・リーグ優勝、そして日本シリーズ制覇を果たした。なお、V9が始まるのは2年後である。

勤労感謝の日の11月23日、後楽園球場に約4万人のファンを無料招待し、ファンとイベントを楽しみ、東映とのオープン戦も行っている。

記事に「初開催」という記述はない。過去にもファンとコミュニケーションを図るイベントは、他球団も含めて多々あったはずだが、紙面を振り返る限り、このように大々的で、現在のファン感謝デーに近い形での開催は初めてといってもいいのではないだろうか。

日本時間の1963年11月23日と聞いて、ハッとする方もいるに違いない。この日…米国時間11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されている。

ファン感謝デーも、ケネディ大統領への追悼から始まった。翌24日付の記事を読んでいこう。

巨人は二十三日午前十一時半から後楽園球場で、創立三十周年記念として約四万のファンを無料招待〝ファン感謝デー〟とし、はなやかな行事を開催した。きょう二十四日も同様のプログラムで行われる。午前十一時開会式に先立ち、高橋球団社長のあいさつのあとケネディ米大統領の死をいたみ、ファン、選手とも起立して一分間の黙とうをささげた。

入場パレードは、はなやかだった。軽快なバトン・ガールを先頭に来日米陸軍楽隊、東京女子短大の生徒の手でチャンピオン・フラッグ、優勝トロフィーがマーチに乗って行進。満場の喚声の中を川上監督以下全ナインがオープン・カーで登場した。日本シリーズ以後、東都のファンに初めてユニホーム姿でこたえた。「常勝の道をさらに進みたい」という川上監督のあいさつのあと、ナインと特別出演の女優桑野みゆき、大空真弓さんが〈以下判別不能〉

記事内に「三十周年」とあるが、巨人の創立は1934年(昭9)で、この年は30周年ではなく「30年目」にあたる。なお、来年2024年が創立90周年になる。

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イベント内容も見てみよう。

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編集委員

飯島智則Tomonori iijima

Kanagawa

1969年(昭44)生まれ。横浜出身。
93年に入社し、プロ野球の横浜(現DeNA)、巨人、大リーグ、NPBなどを担当した。著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「イップスの乗り越え方」(企画構成)。
日本イップス協会認定トレーナー、日本スポーツマンシップ協会認定コーチ、スポーツ医学検定2級。流通経大の「ジャーナリスト講座」で学生の指導もしている。